2017.11.26 天覧山へ低山(丘?・笑)ハイクへ行きました。
天覧山から入の谷津田へ下り、見返り坂をだらだら上り、多峯主山(271m)へ。
多峯主山山頂(271m)
多峯主山・・・「とおのすやま」と読みそうですが読めませんねえ。名の由来は諸説あり不明のようです。
山頂には1万2千個もの経文を書いた石が埋められてると言われる経塚があります。修験道の山だったのでしょうね。。。
山頂から東方面 少しもやっていましたが天気が良くて良い日和でした。
中央左に東京スカイツリーがもわっと写っています。やはり背が高いですね~。
高層ビル群が、まるで角角の山のようでしたよ。低い山ですが見晴らしは抜群です。富士山も見えていました。
お昼には早い時間だったので、山を下りて江戸時代に飯能を領していた黒田氏の祖、黒田直邦(飯能の国衆中山氏の一族で、
江戸幕府の寺社奉行、老中を勤めた大名)の墓をお参り。さらにお墓直下の「雨乞い池」へ。
「雨乞い池」
この池は、雨乞池、または雨乞渕といいます。多峰主山頂近くにありながら、かつて水のかれたことのない池です。古くは、
この上手に、高龗・闇龗(雨をつかさどる神として古来祈雨・止雨の神)がまつってあって、近郷の人たちの信仰が厚かった
ものです。田畑の作物がかれるような旱天が続くと、ここに集まって、神に雨を乙い、池のまわりでにぎやかなお祭りをしたと
いいます。「この水を濁すと雨か降る」といい、また、鼻をつまみ息を止めて七回りすると、池の中に異変がおこるというような
伝説もありました。看板より
息を止めてこの池の周りを7回も回ったら死んじゃいますよ・・・^^;
山を少し下った南斜面に「御岳八幡神社」があります。大きな岩山となっていて岩の下部から回り込みました。
大岩の斜面には牛頭天王の祠や金毘羅の石碑などいろいろとございました。
「ロッククライミング禁止」^^;
大岩下直下の石碑。不動明王さんかなあ?
前岩と云われる大岩の天辺に神社の拝殿がありました。
富士山や大武山が綺麗に見えていました。
御嶽八幡神社 通称「おんたけさん」
祭神:誉田別命、大山祇命、大己貴命、少彦名命
創立年代不詳。
前岩と称される巨岩の上に社がある。産土神(うぶすながみ・生まれた土地の守護神)として信仰が厚い。
多峰主山の南西の岩壁は前岩と呼ばれている。この辺りは昔、牛頭天王社などの小社が鎮座していた。江戸時代末期に飯能村
名主、大河原氏の委任を受けた、与平という人が山仕事をしていた。ある日、前岩で昼寝していると、いつのまにか山麓に
転げ落ちていた。不思議に思った与平が屋敷鎮守の琴平宮をこの山に祀り、百余段の階段を築いた。明治時代初期、
御嶽教行者丸田開元と名主大河原又右衛門が御嶽神社の分霊を安置。1907年、無格社・八幡神を合祀、社号を
御嶽八幡神社に改称。 by wikipedia
近くに「大河原」という地名の交差点がありましたよ。
それにしてもすごい存在感の「前岩」です。
神社の前岩から少し下ったところに巨木がありました。
楠(クスノキ)ですね。大きくて立派です。前岩と云われる大岩に大クス。南斜面。風水的にもとても良さそうな場所
です。明るい初冬の陽光を浴びて、素晴らしい空気・空間でした。二日酔いでしたが(笑)、ずいぶんとエネルギーを
受け取ることができました。
前岩から、さらに下ります。昔は棚田であったであろう場所があって、川の流れにも近く、広々としていて気持ちが
良かったので、そこで昼食にしました。
昼食後、さらに下るとポツンと鳥居が見えてきました。
そういえば前岩付近には鳥居が無かったんですよね。
さらに県道70号近くまで降りると、こんなに立派な御嶽八幡神社の鳥居があったのでした。
山全体、特に前岩が信仰対象だったのでしょうね。
鳥居脇の無人野菜売り場で野菜を買ってネギ背負って歩きましたよ(笑
売り場の前にお年寄りの方と思われるお財布が落ちてました。野菜買った後に落としたんだろうなあ。野菜売り場の小銭入れ
の脇に置いておきましたが・・・・御嶽八幡神社の神様は力を貸してくれましたかねえ。。。。
御嶽八幡神社・里宮 帰り途中に見つけました。
1160年創立とされる。明治に入って前岩の八幡神社と合祀され廃社となったが、不便なために再び分霊されたそうです。
入間川の川向かいから望む御嶽八幡神社拝殿の側面。
低山ハイクでしたが、地場のエネルギーも感じられて予想以上に楽しめました。上図、下山後に止めるのを忘れて
しばらくクルマで走って止めたのでおかしなことになっています^^;