さて新潮文庫の刊行なんて待てるはずもなく、BOOK3を1時間ほどで図書館で一気読みしました。
感想は、なんだかな、なんだかな、としか言いようがないです。
3人目の視点がどうも意味なく、機能していない感じでした。
というよりも、その視点はある種、こちら側(読み人)が描かれているようで、
気持ちのいいものではなかった。
昔のエヴァの劇場版を思い出しました(映画館の観客が写ってるアレです)。
95年以降、そして911以降の、00年代の匂いを醸し出しているというのはもはや間違いはなく、
登場人物たちに記号的意味も何らの意味はなく、存在感は希薄なのだ。
そして、物語も単なるboy meets girlなのだ。
でも、それでいいというのが21世紀のこの今なのかもしれない。
大時代は終わりを告げ、個々の世界観に閉じこもるしかない、
つまらなく小さき世界の住人の慰めなのかもしれない。
物語は、意味を失い、閉鎖感だけが突き抜けている。
情報の並列化はある種の洗脳と怒りだけを生んでいる。
ディスコミュニケーション(ミスコミュニケーション?)という言葉で逃げるのは簡単だが、
何と何が戦うのか、意識をしっかり持って、進まないといけない。
それでも、生きられる世の中と言えば、聞こえはいいかもしれないが、
ズレたまま、進む危険性を感じる。
新しさとは何か、過去に取り込まれるのではなく、新たなものを作り出す。
時代はそろそろ、そんな天才を求めているのかもしれない。
われら凡人には理解もできない新たな地平が生まれる。
それは古き時代を塗り替える力を持っているのだろうか?
それは分からないが、今、世界や時代は誰かを求めている、そんな気がします。
(今日は何だか、神林長平風です…悩みが最近病的なのです、うー)
そういえば、やっぱりバットが出てきたね、金属バット(笑)。
一人暮らしには金属バットとスパゲティを茹でる鍋が必要なのかも。