おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

癌という病気とどう向かい合う? その10。

2005-08-13 13:53:28 | 我思う、故に書くなりよ。
記念しなくていい10回目となる。

ここまでのあらすじを書いておく。

風邪がなかなか治らない父は、掛かり付けの病院で「異常」を告げられ、大きな病院で検査をする事になった。結果は「肺ガンの末期」。自宅から程近い病院から、専門の病院へ移り、治療が始まった。桜の咲いている頃だったから、それほど遠い昔では無い。

さて、母の憤慨も収まった様なので、改めて話を聞いた。

改めて聞いた所で、前回と大差無いのだが、父の容態は日を追って悪くなり、当初の想像通りの物に近づいている。食が極端に細くなり、トイレに行くにもつらい状況となって来た。逆転ホームランどころか、現状維持すらも困難なワケだから、ガンの侵攻を防げないばかりか、肺の領土はほぼ制圧されているに近い。

少し前は、話しづらい…と言う感じは見受けられたが、話せない事は無かった。だが、今では声を出すのも大変みたいで、ほとんど話はしない。絶えず横になっているのは楽だからだろうが、それすらも、楽では無い様子である。時折、激しく、そして長く咳き込む事で、既に枯渇しかけている体力が余計に奪われる。

自宅にいても、酸素の吸入は出来るので、咳が落ち着けば楽にもなるのだろうが、咳止めの薬も効果があるのかないのか判らなくなっている。尿の出が悪いのか、顔や手足のむくみも酷く、容貌は大きく変わってしまった。

一時は期待の持てそうな様子もあったので、本人も家族も、頭の中に置いておかなければならない「最後」ってモノの置き場所を変えた事もあったけれど、いよいよ現実問題としてそれを正面に据えなければいけなくなって来たみたいである。

父の様子を見ていると、もう「頑張る」とかの意味がどこにあるのか判らないんじゃないかとさえ思える。既に、治療の効果の極めて薄い事は知っており、急速に衰えていく自分の体に抗う事もままならない事を、黙って受け入れざるを得ない感じでもある。

母は、担当医から「非常に厳しい」とだけ告げられている。シビアにズバズバと言う担当医みたいだが、さすがに本人には直接告げなかったそうだ。ガンの告知は極めてストレートに言われたが、余命については何も聞かされていない。その印象から、私は夏を迎えるのも厳しいだろうとは思っていた。医者にしても「読めない」ものだと思う。だけれど、家族の希望はいつまでと、期限を区切る様な物では無い。いつまでだって、父には生きてもらいたい。誰だって、どこの家族だって、同じ事だと思う。

首に転移したガンへの放射線治療も、顔のむくみの酷さから延期となっている。特に酷く痛むとか、そうした事が無いのが幸いでもあるが、このまま悪くなり、やがて来る最後を待つだけなのかどうか、現状では家族では判断出来ない。かと言って、医者から何かを指示されている事も無い。

「どーすんだよ? このままか?」

父の1日は、今では24時間では無く、1年にも10年にも値する。このままで良い訳がどこにも無い。確かに、ガンの治療については成す術は無いかもしれないが、父の人生にはまだ術が残っている。終末が来るのを避けられないならば、それまでをどうするか? その時をどうするのか? 何も考えずに苦痛の末にやってくるだろう昏睡に任せるだけで良いとは考えていない。

専門の病院だから…こっちは素人だから…って気持ちは確かにあった。スタートが末期の肺ガンと言う事もあった。だから、任せる事にしたし、覚悟も出来ていた。だが、極めて厳しい状況にありながら、患者と家族の方向性も指示されないのは、見えない期限が確実に迫る我々にとってはいささか役不足である。今が適当な時期なのかどうか知らないが、終末に向けての病床もある病院だと聞いている。そうした話が出て来ないのに、他病院への転院を実際に勧められているのはどういう事なのか。また、転院先でどうするのかさえ聞いていないのが現状である。

どうやら、この専門病院は「ガン」については深く考えているらしいが、それ以外は深く考えていないらしい…。ある意味『看板に偽り無し…』だな。

確かに「疑問」は生まれた。が、この疑問が今のこの時期に生まれるべきものなのか、もうちょっと後なのか、それとももっと以前に…なのか、どうなんだろう?

自分なら…と思う事は多々あるんだが、父の病気だし、母や妹の考えもある。協調こそ求められてはいるが、独走は求められてはいない。鬱病なんかに罹っていなければ、もっとスパスパと考え込む事も出来るのだが…。

まぁ、疑問をそのままにしても良くないから、解消に向けてのアクションは起こしておくかな…。感情に任せて動いてもいいのだけれど、父にとって良い事だとは思わない。成す術が無いのも事実だし、時間が無いのも事実。どう暴れても、捻じ曲げる事は出来ないし、正直な所「無条件降伏」なのかも知れない。また、ガンとはそう言う病気である事がほとんどだし、闘って散っていった者の数は知れない。

例え、無条件降伏ではあっても、降伏調印文書には少しでも有利な条件を盛り込む努力は出来る。それが癌という病気と向かい合う「外交官」の役目でもあるんじゃないかと思う。癌による父への蹂躙を欲しいままにくれてやる必要は無いからね…。

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