おじたん。的ぶろぐ生活。

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癌と言う病気とどう向かい合う? その14。

2005-08-20 22:33:00 | 我思う、故に書くなりよ。
通夜、告別式を終える…。

正直、父には謝っても謝りきれない親不孝しかして来なかったので、泣き続けたい気持ちはどこの誰よりもあった。だが、泣いてばかりいても、事を先に進めなくなくなるばかりか、迷惑をかけるばかりにもなるので、堪える所は堪え、長男としての役目を果たしたつもりではある。

それしか、出来ない自分が情けない。香典ひとつ、身内でありながらも出す事が出来ない。少なからず、父が私の身を案じながら、帰らぬ人となったと思うと、私の残りの人生は、返しても返しても返せる事の無い、懺悔しか残っていない。

父は、腕の良い職人だったと、私は思う。一般住宅の左官仕事を多く請け負っていたが、どんなに小さな壁でも、手を抜く事無く、最高の仕上げを目指して塗り続けていった。完成してしまえば、人の目に触れる事の無い部分でもキッチリと塗り続ける仕事を見ている。

それが、父の誇りでもあったし、家族の誇りでもあった。また、自身が使う道具への愛着も、並大抵の物ではなく、大事に使い続ける事はもちろん、磨り減った左官ゴテに体を合わせる事で、自分なりの技術をも身につけて行った人でもある。

「あの世でも仕事してくれ…」

と言うワケでは無いが、左官屋からコテを取ったら、何も無い。何も恩返しの出来ない息子の私が、父の葬儀にあたって是が非でもしたかったのは、参列の方々に、使い込んだ道具を見て頂く事と、棺に入れてあげたい事だった。

見てもらう事は、特定の宗教に拠らない葬儀だったので、難しい事でもなかったのだが、棺に入れるのはかなり難しい。コテは金属で出来ているからだ。

そこで、木ゴテから金属部分を取り除き、総木製のコテを義弟に頼んで作って貰い、棺に納めた。

実際に使い、セメントやらモルタルで変質したコテだったので、義弟の力作となったが、素晴らしいコテを父は一緒に持って行けたのである。

そのコテで、左官の神様と言われた「伊豆の長七」みたいな、芸術作品の創作を心ゆくまで楽しんで欲しい。あの世なら、神様と語り合ったり、腕を競ったりも出来るんじゃないだろうか。父も、仕事の先に、そんな世界を夢見ていたに違いない。

「父さん。趣味で壁を塗る人が増えてるみたいだよ…タモリも塗ってたよ…」

クロス張りの住宅が増える一方で、職人が塗った壁はどんどん減っていく。
元気なうちに、伝えてあげたかった事なのだが、闘病中でもあったので、言えなかった。

可能な限り、父の「名作」の数々を訪れて、この目にしっかりと収めたい。





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