おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

ポラロイド SX-70 その9。

2005-08-07 05:12:00 | ポラロイドーシス。
出番まったくなし…。

フィルム見掛け無いんだよねぇ…。600詰めてぶっ飛んだ写真撮るのもなんだし。

使いこなすほど撮ってもいないし、ちょいと作品を撮ってみたいってのもあるので、ウズウズしてるんだけれどなぁ。

一応、大き目のカメラ屋さんにフィルムは頼んではいるんだけれど、いつ入荷するか定かじゃ無いところがこのカメラらしいトコロでもありますが、仕舞い込んでいて良い事もなく、時々出してあげないと心配でもあります。

長い事、防湿なんてのとはおよそ縁の無いトコロで「過去の遺物」とされていたのですが、幸いにカビの被害も無く、点検修理を経て「復活!」したのではありますが、メッキされたボディーに点々とカビ状の白いモヤモヤしたものが浮いて出たりします。カビかと思いきや、カビでも無さそうでして、同じ様にプラスチックにメッキされたモデルガンとかエアガンでもたまに見掛けます。まぁ、アルコール・ティッシュでぬぐえばキレイになるんですけど、精神衛生上あまり宜しくはありませんね。

同じく、ボディーに張られた革の部分も、これは本物のカビにやられ易いワケで、クリーナーと保革油でメンテナンスしとかないとイケマセン。あまり放ったらかしにすると、革自体が形状を維持出来ずに割れちゃったりするんですけど、そこまで酷くはなかったのも幸い。なんとかオリジナルの状態を維持しているワケです。

そんなワケで、ウズウズ…しながらキレイにしていたりするワケですが、いよいよオブジェか…って感じも漂うので、ちょいと頑張ってフィルムを手に入れないと…。

作品うんぬんだけなら、980円の600カメラとフィルムがありますので、何とかなりますけど、過去の遺物から復活を成し遂げたSX-70ソナーだからこそ…って想いがあるのですよ。それゆえにウズウズと歯がゆいのですけど。

そんなこんなの想いも、全てが厳しい状況に向かいつつあるのが現状でもあります。
ポラロイドを見限るとか、見捨てるつもりはありませんが、デジカメには無い楽しさをもっと早く知っていたらと思うと、余計に歯がゆいのでもあります。

こうなれば「チェキ!」でも手に入れておこうかなと、さえ考え始めているし、現行のポラのなかなかな「600PRO」なんてのも欲しいな…とさえ思います。

と、妄想しながらフィルムの無いカメラをキレイキレイしているんであります。

Comments (2)
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大人が摘む祈りの心。

2005-08-07 01:08:18 | 我思う、故に書くなりよ。
甲子園で原爆忌の黙とうで行き違い、朝日新聞社が謝罪 (読売新聞) - goo ニュース

参加校が一同に揃うのはこの日だけなのになぁ。後は減っていくだけなのに…。

イマドキの高校生からこうした提案が出るのも珍しい事だと思うんだけど、それを大人が摘んでしまった。まぁ、野球とは直接関係ないと言えばそれまでだろうけれど、この日が何の日か、朝日新聞主催ならなおさら判っていた様な気もする。

一部報道では「広島だけのことで他校を巻き込むのはよくない…」とかが黙祷阻止の理由だと言われているが、平和を祈念する心を摘んでしまった事には何ら変わりない。残念と言うより、取り返しの付かない事をしてしまった。

60年前の事を、いつまでもグダグダと…と言う声も確かにある。ヒロシマ、ナガサキはそれだけで何を意味するか…世界中で知らないモノもいないくらいに別の意味を持つ言葉だけれど、そうなるに至った経緯がどれほど正しく語られているのか? と言う意見もある。

だが、失われてしまった人達への鎮魂と、それを2度と繰り返さないと言う約束を祈りに込める事は、時代や世代を超えて続けても何ら悪い事は無い。核兵器を落としたアメリカが悪い、いや、中国や韓国を侵略した日本が悪い、勝手な理由で隣国を侵略したナチス・ドイツが悪い…だの、言えばキリが無い。あの戦争を起こしてしまった人々、どういう形であれ、それを推してしまった人々、異を唱える者の声を謀殺してしまう様な国家を作った人々、みんなが悪い。

だからこそ、祈るんじゃないのだろうか。そして、その場はいつ何時でも、どこでも構わない。大きな惨劇の起きた日ならば、なおさら都合が良い。そう思った高校生の心は摘むものでは無く、育てていかなければならない物だったのに。

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