おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

スーパーバルブ。

2006-04-26 22:30:00 | おじたん的自転車生活。
虫ゴムである。

100均ショップの自転車用品にはなかなかのモノもあるが、なかなかで無いモノもあるのでトライ&エラーが必要だったりする。

我が愛車のROCK5500はまだまだ新品なので、パーツが傷んで困るコトも無いハズなのだが、なんだかタイヤの空気が抜けるのが早いような気がしていた。米式バルブとか、仏式バルブではなく、ごく一般に良く見かける『英式バルブ』なチューブを装備しているので、パンクしてジワジワ空気が抜けている以外はバルブの虫ゴムの収まりが悪いか、劣化しているか…と言うコトになる。

でもまぁ、パンクと言うコトも考えられなく無いので、丹念にチェックして、洗剤を薄めた水をタイヤにぶっかけて空気の漏れを見てみたのだが、それらしい漏れも見付からず、虫ゴムがどうやら怪しいと言うコトになった。

んで、外してみたんだが、劣化している雰囲気も無く、まだまだ使えそうな気はしていたのだが、「虫ゴムの10倍長持ち!」なるバルブを見付けたので、取り替えてみるコトにした。

写真で言えば、上がスーパーバルブで、下がノーマルバルブ。右から空気が入って、左側に抜けてチューブが膨らむのであるが、単なる管じゃあ、空気がダダ漏れで役に立たないので、入った空気が漏れない仕組みがこの管には必要なのである。で、バルブ…って言う位だから『弁』らしいモノが付いているのだけれど、従来のノーマルバルブは穴の開いた管にゴムが被さっており、それ自体が『弁』の働きをする。写真じゃゴムに隠れて穴は見えていない。ひどくシンプルなのだが、空気が入るにも出るにもあまりスムーズではない感じ…。

これをちと豪華に『弁』らしい『弁』を取り付けてあるのが「スーパーバルブ」なのである。一番左の黒い部分がぴょこぴょこと動き、空気の流れを仕切る様になっている。一応、ちゃんとした『弁』にスプリングでテンションが掛けられており、なかなか。よりスムーズに弁が動き、空気の漏れが起きない様にシリコン・スプレーを塗ってからバルブを取り付けて空気を入れてみた。

フロア式のポンプだから、普段からあまりパワーは気にしたコトも無く空気を入れていたが、まるで入っていない感じに「スカスカ…」と入る。ちゃんとタイヤが膨らんで来たので、非常にスムーズに空気が入って行っているワケ。ちゃんと入っても入れるそばから抜けちゃあ困るので、様子を見ながらスカスカ…していたのだが、豪快に抜ける雰囲気も無く、ちゃんと入った。

あとはナットをしっかりと締めて、ゴムキャップをつければおしまい。

さて、虫ゴムの10倍が具体的にいつ? なのか定かじゃ無いのだが、真ん中辺りのゴムの劣化次第って感じなので、この辺の手入れさえしておけばそうそう傷むモノじゃなさそうなので、なかなかだと思う。ただ、これも新製品と言うモノでは無く、随分と昔からあった気がするのだが、昔見たのと形が微妙に違っていると思うんだが、密かに改良されているのかもしれない。昔見たのは弁が見えなかった気がするんだが…。

まぁ、チューブを米式あたりに変えちゃうと全く意味無くなるんで、それまでだが、英式専用ならばママチャリにも当然使えるので、やはり「なかなか」なモノだろう。

あっ、ライト買ってくるの忘れた…。と言うか、見なかったな…。そもそも1度失敗しているので同じ物買ってもだな…。ちゃんとしたの買ってこよう…。

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いろいろ~。

2006-04-26 20:59:23 | 我思う、故に書くなりよ。
嫌な事件が多いねぇ…。

ここの所、嫌なコトが多くてブログを書くのも躊躇してしまう感じだったのだけれど、嫌な事件・事故が新たに起きるのは致し方ないんだと思うが、その後に再び嫌な感じを伴って思い起こされるってのが一番イヤな感じ。まぁ、裁判ってもんが非常にファジーで、犯罪に対して誰もが納得出来る刑を与えきれていない…ってところから来ているんだと思う。

栃木リンチ殺人事件では、警察が救える命を救わなかったコトに対して当然の判決が出たのだが、県側は控訴すると言う。税金で賠償金を払わねばならず、これも県警の無能ぶりが元なので仕方ないのだが、普通に考えてそんな県はイヤだ。救いを求める人の声に真摯に向き合って、救える命を救う、安全を守る…ってのが、どこの役所の役目なのか全然判っていない。それが出来ないならそんな組織は要らず、地元のヤクザか右翼にでも相談した方がマシ。もの凄くシンプルなコトさえも出来ない警察は反訴せずに反省するべきなのに、姿勢が全くのグダグダ…。

神奈川でも放置死事件と言う非常に不可解な事件の判決が出た。まぁ、救うべき人を放置してしまった末に死なせてしまったと言う、それだけなら「過失」とも言えるものなのだが、解剖していないのに解剖したとか、別人の臓器標本を資料として出しちゃったとか、不可解な事後処理がいろいろと出ていた。まぁ、それらはさて置かれ、救わなかったと言う点では警察側の過失を認めた判決がでたのだが、解剖の件や、別人臓器の件は無かったコトになっている。

最も興味深いのは、疑惑の臓器の鑑定にDNA鑑定が用いられ、日本を代表する専門家が「別人」と鑑定した資料を採用しなかったコトにある。科学捜査の1つでもある法医学をあっさりと無かったコトにしちゃったのだ。DNA鑑定の信憑性をこうも脆く崩しちゃったとすると、いろいろとヤバイ…。これは裁判を起こした人も、鑑定した人も驚いたろうなぁ…。解剖の痕跡も無い遺体が解剖されていたコトになってしまっているし、警察うんぬんよりも、監察医制度すらも怪しいコトになってしまった。ひっくるめて「行政の胡散臭さ…」が色濃く残った判決でもある。

不備やら過失やら怠慢やらを素直に認めて、真摯に謝罪と賠償をしておけば問題もそう大きくならずに済んだ物を、よりいっそう不可解で怪しげな物に育ててしまう体質ってのはどーなんだろう? 

そんなこんなを解消できるならば、陪審員制度ってのも良いとは思うのだけれど、あまり大きな期待も出来そうに無いなぁ。なんでもかんでも死刑反対って不自然な弁護士がいたり、執行命令出さない法務大臣がいたり、犯罪者が得な状況が続くんじゃねぇ…。大人しくしていれば出て来られる無期懲役なんてのも意味無いし、そんなんじゃ裁判に無理矢理付き合わされるだけ『迷惑』な話で終わってしまう。罪に相応した罰を与えられないならば、裁判の意味すら薄らいじゃうしねぇ…。

まぁ、なんにしろ「イヤな話」だよねぇ…まったく。



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