おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

癌という病気とどう向かい合う? 4。

2005-04-04 22:24:33 | 我思う、故に書くなりよ。
年度末なんだかどーだかわからないが、父が一時帰宅していた。

咳以外に不自由な事は無い様なので、家にいても構わないらしい。一応の検査も終わったらしい。

父も自分が予後の悪い病気だとは自覚しているので、あれやこれやしておきたいだろうし。そんな父も今日には病院に戻る。一通りの検査が終われば、詳しい説明があるので、医者から見た今後の予想が語られるワケ。

夕食は妹とその子供を連れて、外食になった。咳き込みながら食べるのを見るのは辛いものがあるのだが、少しでも栄養が付けられる内に付けてもらいたいと言う気持ちもある。体力勝負の消耗戦しか残されていないと思うし。まぁ、肉体労働者の現役だったワケで、体力は相当なモンだから、消耗をなんとか出来れば良いだろうと思うが、呼吸器の癌だから消耗しやすいんだよなぁ。

まぁ、ともかく現状を正しく知るって事。それに合わせた最善の治療は医者が考えるワケだから、それ以外に何をどう考えるかって事だと思う。そのためにも、医者の説明は冷静に聞かなければならない。
悲観するのも構わないが、時間が限られたなら、その時間をどう過ごすか? なかなか難しいけれど、決めなくちゃいけなくなる。家族にとっても同じ事で、悲しんでばかりでは時間を無駄にしてしまう。まぁ、それも選択肢の1つだとは思う。人間なんて、そうそう計画通りに動けないしね。

んでまぁ、上の部分から1日経ち、担当医から患者を含めた家族への説明があった。

説明が始まる前に、医者は何かしら書類を書き込んでおり、説明は数分始まらず、一同沈黙。
その後ろのシャーカステンには父の胸部レントゲンやらCTの画像が貼られており、私はそれをずっと見ていた。

言われている通り、右肺は気管支を中心にほぼ全体に白い影が見られる。左肺は影も無く、黒い。右肺を良く見ると、あまり外側には白い影が及んでいない。目に見える塊が点在する事も無く、体の中心に向かった方が白い。簡単に言えば、真ん中に1本通る背骨に近い部分から外側に向かって白く広がっているが、外側(脇腹とか…)までは広がってはいない様子。

肺だけでなく、胸部レントゲンに写っている範囲をじろじろと見るが、コレと言って怪しい白い塊は見られなかった。CTは体を輪切りにしたもので、首辺りからお腹の辺までを輪切りにした十数枚の画像を順を追って見る。

肺の白い影が大きく写っているが、これはレントゲンでも見られたワケで、他を探してキョロキョロしてみたが、首の付け根辺りの画像の背骨の左脇に白い塊が見て取れた。

「あー。これリンパ節(せつ…と言う。ぶし…ではない。)かなぁ…」

そう思いながら、医者の話が始まるのを待つ。程なくして始まった。

今いる病院へ掛かるまでの経緯から、今日までの話。これはまぁ聞いてもねぇ。肝心な話は現状どーなっているかなんで、その話が始まるまで画像を睨んでいた。

まぁ、ぶっちゃけ、どこから始まったか判らないほど広がっており、手術で取ってしまうにしては高齢の部類なので、あまり良い方向には向かわないから、抗ガン剤で対処してみましょうって話だ。放射線治療の話は出なかったし、こちらからも聞かなかったが、あれだけ広がっていればどこに放射線を向けていいやら? って事で、しないんだろうと思う。恐れていた転移は首の付け根のリンパ節に見受けられる程度で、他の臓器や、骨に転移は見られないとの事だった。血液検査では腫瘍マーカーの数値が高い事が示されて、血液中に癌が流れ出ている事を示していると言う。リンパ節に転移していれば、それも無理は無い。

もっと酷い事になっているのかと思っていたが、分類で言えば末期だろうが、その一歩手前じゃないかと思った。

父に使う2種類の薬の話、抗ガン剤による副作用の話を聞き、出来うる限りの最新の治療は用意するとの話。OKならば、明日からでも始めると言う。

「では、よろしくお願いします。」

って明確な返答は誰の口からも出なかったが、方向的にはそうなった。「じゃあいいです。」ってワケにも行かない。父は何かを言いたかった様だが声としては出なかった。ただ、治療を進める同意書か何かに、自分でサインはしている。恐らくだが、副作用が怖いんだと思う。ただ、こればかりはやってみないと判らないので、何とも言えなかったんじゃないだろうか。何にせよ、死に至る病気に冒されているのだから、何を言われても恐怖は拭えないんじゃないかと。

「まぁ、やってもらってさ、あんまりキツイんだったら、その時にまた考えてみればいいじゃん。」

としか、父には言えなかった。本人の手前、あとどれくらい生きていられるのか? なんて事も聞けないし、医者も言わなかった。まぁ、自分が見た限りでは、何もしなければ3ヶ月かそこいら。薬が効いて現状維持より少し悪い感じで落ち着けば、2年。あるいはもうちょっと…と言う感じじゃないかな。
父が自分で決めるなら「何もしない」という選択もアリだと思っている。薬が効いたとしても、今より悪くなるのは明らかだし、それによって出来なくなる自由も多いだろう。癌によって失われた組織が復活する様な臓器ではない。また、抗ガン剤は正常な組織をも破壊する。

出来る事を、出来る限りしたいという望みも人によってはある。何か出来る自由が失われても、意識だけはっきりしていればそれで良いという人もいるだろう。家族でも意見は分かれる所だし、少しでも生きながらえて欲しいとは誰だって思うし。

父の命は区切られたワケで、あと10年20年というスタンスに無い。その区切りに向かって、どうしていくのか。当人も家族も考えないといけない。区切りは、何もしなくても必ずやって来る。今、一番私が恐れているのは「出来る限りの事をやって…」その対価として途方も無い苦痛を与えてしまう事である。治療を受けるのは家族ではなく、父。父への負担が、我々家族の治療への効果の期待に比例して大きくなってしまうのがイヤだ。もちろん、負担が少なくて効果が高ければそれで良いのだけれど、そういう夢の様な治療法は存在しないのが現実でもある。

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侵略者~♪

2005-04-04 02:57:26 | 我思う、故に書くなりよ。
年甲斐もなく、ケロロ軍曹は欠かさず見ている。

この4月から放送時間が変わり、金曜日の夜6時になった。土曜日の朝10時って時間も、何気に良かったんであるが、録画して見てるのでどっちでもまぁ良いわけで。

2年目突入で、オープニングとエンディングが変わり、ちょっと残念だった。まぁ、エンディングはちょくちょく変わっていたので、さして気にならないが、オープニングのせわしなさがちょいと気になるんである。

いい年したオッサンが見ている分にはどーでも良いんだが、小さな子供が見る分にはどーだろうか? 本編が始まれば楽しんで見るのだろうが、テンポが小さな子供向きでは無いと思うし、子供が歌えない。

んまぁ、大人の都合でこーなったんだろうけれど、小さい子供が楽しむ事もちょいと考慮して頂きたいとは思うところ。歌いながら行進出来無くなっちゃったら、おもしろく無いと思う。

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