アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

生きるのか?生かされるのか?

2009年06月25日 | Weblog
倉本聰さんの「歸國」を観て、あらためて「延命」について考えさせられました。
 死が迫っている人への治療は、どのように決定したらよいか…
1 本人が元気なころの意思表示が文書に残されている場合、それに従うべきか?
 亀田総合病院(千葉県鴨川市)の男性患者が「意思疎通が出来なくなった時は人工呼吸器を外してほしい」とする要望書を提出していた。その後の報道は見損ねたか?なかったか?外すと犯罪ですから…
2 本人の意思は、日々どころか数分後には変化するものではないか?心は、コロコロ変わるから、「コロコロ→ココロ」となった。変わって当然です。亀田総合病院の患者の場合は、全身の筋肉が徐々にマヒする難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)。両手足とも動かず、ほおの動きを電気信号に変えて、パソコンを通して意思を伝えることができるという…。十二分に強い意思です…。
3 本人の意思が確認できない場合は…
 (1)家族の判断で、延命を中止してもいいか?
 (2)医師の判断が入る余地はないのか?
 現行法では、人工呼吸器を外すのは殺人罪に問われる可能性がある。病院側としては、罪に問われたいはずがない。よって、「延命」し続ける…でしょうね。

 「人工呼吸器を付けないという判断と、途中で引き抜くという判断は同じ」という医療関係者の言葉も話題となりました。
 「医師は、人工呼吸器の取り外しを単に何かを外すようにしか思っていないという現実がある」「人工呼吸器を付けないことと取り外しを同列に置くこと自体が無理」などなど、この種の問題は、正解・不正解がない。何とでも言える。ただ、下品ですが、「自分に火の粉がふりかかって来ない場所で、好き勝手なことを言っている」という感じがしてなりません。
 
 私に死が迫っていたら…当然、「人工的な延命は望まない」人間死ぬときは、必ず誰かに迷惑をかける。人工的な延命は、多くの人に多大な迷惑をかけることになる。生きている人を大切にしなければなりません。
 ただ…現行法では、人工呼吸器を付けないのも、外すのも殺人罪に問われる可能性がある。

 「歸國」の中で、老婆と少女の場面があった…
 人工呼吸器をつけられ、生かされているだけの老婆がいた。隣の病室には、寿命が残り少ない少女がいた。老婆は、少ししか動かなくなった顔の筋肉をようやく動かし、少女にお願いをした。
「私の意識が無くなり、ただ呼吸しているだけになったら、人口呼吸器のスイッチを止めてね。約束だよ」少女は…
「分かりました、おばあちゃん」…約束した。
 そして、老婆の意識はなくなった。少女は、人工呼吸器のスイッチを切った。
 少女は、人工呼吸器のスイッチを切ったことで、「どう責められてもいい。どうせ私もすぐにおばあちゃんのところへ行くから」。
 死に直面した老婆と少女。「もうすぐ死ぬ人」にしか、人工呼吸器のスイッチを切ることが出来ないのか。この場面で見る限りは、老婆も、少女も幸福であることは間違いありませんでしたが。
 「歸國」の中で、現代の日本について唯一英霊が感謝したのは、この少女の行為(人工呼吸器のスイッチオフ)でした。