アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

臓器をめぐる骨肉の争いも…

2009年06月26日 | Weblog
 脳死を人の死とし、15歳未満の臓器提供に道を開く臓器移植法改正案(A案と名づけられたもの)が、衆院で可決された。このあとどうなっていくのか…すんなり、「A案に決定」とはならない様子。D案有力説が大勢を占めていただけに、参院の否決からD案で再度…という図式も考えられる。

 衆院で、A案可決の瞬間の傍聴席…喜ぶ人と、悲しむ人の両極端に分かれていた。「脳死が人の死か否か」これは、国会で決めることは出来る。しかし、「正しいか、間違っているか」は、誰も決めることは出来ない。
 確かなことは、臓器を提供してもらえれば、まだまだ生きられる人がいるということ。かかわって、日本人が、海外に臓器を求めてきたということ。

 脳死状態のため人工呼吸器をつけて自宅にいる子どもさんの母親は、「脳死から8年、身長も伸びた。この子は延命しているのではない。こういう生き方をしている」と述べている。A案に決定したとして、すぐにこの子どもさんをどうこうしなければならないということはない。しかし、「生き方」を認めてもらえないということは起こる。

 人口は減少の一途、しかし、臓器の移植が必要な人は増加の一途。臓器は足りなくなる。「死の線引き」が変わると…
 10年ほど前に、徳山大学の粟屋剛教授が臓器売買について詳細な調査をした。その結果には正直愕然としました。臓器売買がビジネスになっている。身体髪膚への毀損について反対の私でも、臓器移植は「亡くなった人が、これからの人を生かす」こととして認めます。しかし、ビジネス…これは…今後、予想出来ない問題が次々と惹起してきます。

 「LOST」というアメリカのテレビ映画の一挿話に、次のようなものがありました…。
 ジョンは、生まれてすぐに里子に出された。成長し善良な市民として暮らしていたジョンの前に、母親が現れた。母親は、事業に成功し大金持ちになっていた父親について語った。ジョンは、父親に会いに行った。お金を無心するのではなく、純粋に自分の父親に会いたかったから。父親は、守衛付の大邸宅に住んでいた。ジョンを大歓迎してくれ、狩に誘ってくれるなどした。それはそれは優しい父親であった。
 ある日、11時に狩へ行く約束をした。ジョンが時間通りに邸宅を訪れると、父親は人工透析をしていた。父親は、「約束の時間は、12時だ。私は、御覧の通りでもう長くはない。私が生きる道は、腎臓移植しかない」と言った。
 ジョンは、自分の腎臓を父親にあげた。父親は、退院直後から態度を豹変させ、ジョンと会うことを拒否した。ジョンは、狡猾で冷酷な父親に、腎臓を騙し盗られたのです。気づいた時はすでに手遅れ、摘出され父親の体内に治められた腎臓を取り戻すことは出来るはずもない。
 「適合性」という点で、肉親の臓器がもっとも良いでしょう。今の日本、尊属殺人が珍しくなくなった。臓器をめぐる残酷な事件が起こらないことを祈るしかありません。
 さらに懸念されるのは、手術をしていないのに、診療報酬を不正に受給する病院の増加。大和郡山市の病院は、カルテの手術記載欄の右上に、架空の手術をした場合は黒で、実際に手術した場合は赤で印を付けていた。ほかにも数種類の色を使っていた。色分けしなければならないほど頻繁に不正を行っていた。こういう病院が臓器移植に係わると、移植していないのにしたことにされ・・・。事件が起こらないことを祈るしかありません。