アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

日本人にも労働教化刑の受刑者が

2009年06月17日 | Weblog
 忘れていた、「労働教化刑」、思い出しました。日本人でもこの刑を宣告され、実際に服役した人がおられたのです。古いことは思い出せるのに、新しいことは、覚えられない…。

 北朝鮮が、拘束中の米国人女性記者2人に対し、「労働教化12年の刑」を言い渡した。2人は、3月17日(私の誕生日であり、セントパトリックスデイでもある日)に、中朝国境付近で取材中北朝鮮側に拘束された。
 労働教化刑…言葉から来るイメージは、タコ部屋に入れられているタコ状態。実際その通りで、毎日重労働をさせられる。殺人や強盗などの重罪犯などに科される刑。
 労働教化刑から何を思い出したか?1983年の「第十八富士山丸事件」です。日本の貨物船の船長と機関長が北朝鮮にスパイ容疑で拘束された事件。2人は、1988年に「教化労働15年」の刑を宣告されました。

 第十八富士山丸事件の経緯は…不可解なものでした…日本~北朝鮮を往復していた冷凍貨物船「第十八富士山丸」に、北朝鮮人密航者が乗り込んでいた。船長は、門司海上保安部へ身柄を引き渡した。それで落着かとおもったら…10日後、北朝鮮に入港したら抑留された。密航の幇助及び継続的なスパイ行為の容疑。
 
 それから、船長さんと機関長さんへは、拷問まがいの取り調べが長期間続いた。精神的にも肉体的にも追いつめられ機関長は自殺未遂までした。「(密航者を幇助した)罪を認めれば、日本に帰れる」との嘘に乗ってしまった。北朝鮮捜査当局が捏造した調書(虚偽)を認め投獄された。この話で彷彿されるのが、足利事件の菅家利和さんです。

 船長と機関長はその後どうなったか?結果的に、労働教化刑に2年5か月服したところで解放された。日本の国会議員による訪朝団が交渉した結果でした。このときは、信じられなかったです。まさか、解放するとは!北朝鮮はそれほど物わかりの良い国だったのか?そんなことはあるまいと、思っているうちに、本当に、船長と機関長が無事帰国…。一体何が起こったのか?

 ここで登場するのが、首相にはならなかったが、大物政治家だった金丸信です。え?知らない?佐川急便ヤミ献金事件ですよ!知ってる人が少なくなってしまいました。「金竹小(こんちくしょう)」なら、聞いたことがあるという人も…よけいいないかな。金竹小は、金丸信・竹下登・小沢一郎の頭文字。当時最大派閥として政府・与党に対して圧倒的影響力を持っていた。目の上のたんこぶにたいし、「こん畜生!」をかけた「金竹小」。
 すぐに横道へ逸れてしまうのですが、金丸家の名づけ方がおもしろいのです。6人の子の名は、それぞれ南総里見八犬伝から漢字をとっているということで有名。政治家になったのが「信ちゃん」。なお…関係あるかないか不明ですが、金丸さんの縁者に、西松建設幹部がおりました。小沢さんは金丸さんは、一心同体みたいものでした。西松建設と小沢さん、このころから通じていた…。

 この金丸信が中心になり、訪朝して2人を取り戻してきた。1990年のことです。この年、すでに拉致も明るみに出ていました。どうして、拉致被害者も一緒に連れ帰れなかったのか?推測出来ますが、止めときます。北朝鮮が、簡単に第十八富士山丸の2人を返すはずがない。相当額の「対価」を支払ったのでしょう。金を丸ごと信じろ…金丸信。

 アメリカは、労働教化12年の刑の女性記者2人を救い出すことが出来るのでしょうか?北朝鮮は、「核」「ミサイル」「後継者」「貧困」「飢餓」…女性記者との交換に何を要求してくるか!

 第十八富士山丸の2人、足利事件の菅家利和さんと違う点は、失われた7年間の補償は何もないことです。