ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

適正な額の年収

2015年06月29日 07時04分02秒 | 思い出

・・・最近の報道なので、日本でも会社経営者の年収が高額になり、ニュースになる事がある。
  年収が一億円を超すような人の懐を考えると、我々貧乏人にはそんな高額の年収をどうやって使っているのであろうかと余計な詮索をしてしまう。

  そんなことを考えていると、昔のことを思い出した。
  その昔、若くて会社で仕事が面白かった頃、直属の課長などが自分の仕事の結果によって、自分より、高額の年収を貰っているのが、腹立たしく思ったことが、あった。
  その後、自分が、若い人に比べて、何倍かの高額の年収を得ていた時は、どういう成果を出せば、胸を張って、その収入の、正当性を言えるのか、時に触れ、考えていたことを思い出しました。

  そういう経験から、自分なりに考えることは、一般社員に比べて、かなりの高額の収入に見合う仕事の成果は、
  日々の日日の目前の作業をこなすだけでは到底、その収入は得られない、少なくとも、一年単位の長いスパンで、会社の業務や売上が変わるような仕事をしなくては、その収入は得られないと考えられる、ほとんどの会社での自分の時間を、会社の売り上げが増える仕事のために頭を使うべきである。
  目の前の自分の職務上の仕事では、純粋にその成果のみを金額換算すれば、若い人の給料の二倍程度までが許される限度額である。

  そう云う考えに立てば、例えば、私なりの計算では、年収一億円と云う額は、一年に会社収入が、その人の成果によって営業利益で少なくとも毎年数億円以上増えるような成果を得ることが要求されるように思う。
  ほんとにそんな仕事をしている人がいるのか、現実問題として、ちょっと疑問に思う。


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