もて木みち子 オレンジニュースブログ版

今年のキーワードはゆっくりやさしく社会を変える

個人的被災地情報 少しずつ春が

2011-03-31 | 東日本大震災

思いもかけない方からも、震災の被害大変でしたねとお声をかけてくださいます。ブログを読んでくださっていたのだと思います。ご心配をおかけしているので、その後の情報をお届けすることで、お礼にかえさせていただきます。

きのう電話をしたら、きょうようやく、震災以来はじめてお風呂に入れる予定だそうです。

弟の住む仙台のマンションも、妹の住む塩釜の家もまだガスが通じず、まだ震災以来風呂が沸かせないでいるそうです。同じ仙台市内にいる、いとこの家がようやくガスが通じるという情報を得て、みんなでもらい風呂にいくとか・・・。ちょっと、弾んだ声でした。

あした病院にいく日なので、なんとかこざっぱりとして診察をうけさせてやりたいという、こどもごころ。同じ仙台市内に住む母の妹が下着を持ってお見舞いに来てくれたそうです。

お互いの無事を祈りながら、いろいろ話をして、ようやくすこし元気になってきたとか。

人は人によって元気になっていくのですね。

寒い日が続く東北ですが、きのう、はじめてウグイスの声を聞いたよと妹からの電話。

東北にも少しずつではありますが春の気配です。


307回定例議会の結果

2011-03-31 | つながる三木

主な議題の採決結果

●予算は、一般、特別あわせ、すべて賛成多数で可決。みんなのぎかいでは、教育センター移転にともなう教育総務費1000万について修正案を出しましたが、委員会で否決。本会議でも反対しましたが、賛成多数で可決。

みんなのぎかいでは、予算案の反対討論をおこないました。

●母子父子福祉年金をなくする条例改正案が出されましたが、否決され、従来どおり年金は維持することになりました。(みんなのぎかいは反対の立場をとりました、つまり存続させる立場)

●3人目からの出産祝い金も三木独自の施策としてありましたが、それをなくする条例改正案がだされましたが、これも否決され、出産祝い金は残ります。(これも反対の立場で、出産祝い金を残す立場をとりました)

みんなのぎかいでは反対討論をおこないました

●副市長定数条例案(薮本市政では、当初からわざわざおかない条例をつくっていました)。これは全員一致で賛成。基本的に副市長を置くことについては賛成です。

●副市長選任について同意を求める決議。賛成7、反対12。つまり不同意となり副市長人事は認められませんでした。

みんなのぎかいは反対の立場をとりました。わざわざおかない条例をつくってまで、副市長をおかなかったのに今回理事を副市長にという提案でしたが、役割分担して市長は外に内政は副市長にというところに疑問を感じました。今市長と市役所内部、あるいは議会や組合がスムーズにいっていない現状で、それらを副市長にまかせて、というのは市の停滞をますます引き起こしますし、市長と議会の関係をよくするための人事としても疑問。

●百条委員会の調査結果 これは全員一致で承認。誤解のないように申し上げますが、これは調査委員会に加わった、全員の承認の元に出されたものです。数の力ででっち上げたものではありません。

「市長に対し猛省を求めるものとする」というのは、その調査結果のまとめに記載されています。ちなみに、300万もの血税を使ってとされた、調査費用については法律相談11万、音声反訳24万、参考人旅費3万など、合計418749円です。

●「市長に猛省を求める決議」については、その調査結果をうけて議会としての何らかの意思表示をする必要があると考え、決議したものです。賛成多数により、決議されました。発議者3名(わたしもその一人です)賛成者3名です。

そのことで、後の市長による名指しでのコメントがありましたが、発議者や賛成者ではなく、今回立候補を予定している人の名前をあげているのに、なんらかの意図を感じます。なぜ市長のあいさつでそのようなことをする必要があるのか、疑問です。

「市長の発言は、どのような場においても非常に重く影響が大きいものであ理、その責任はきわめて重大である。よって本市議会は、薮本市長に対し、猛省を求めるものである。」

これは、議会の百条委員会の調査結果に基づいて決議したものです。

その他、震災の支援のための補正予算5000万についても承認されました。

 

 


市長あいさつ 予想通り、すぐにHPにアップ

2011-03-30 | つながる三木

本会議がおわりました。四年間の最後の議会であります。

最後に市長のあいさつがありました。最後ぐらいもう少し気持ちよく終わりたかったのですが、そうはいきませんでした。

今回引退するベテランの議員さんも何人かいらっしゃいます。それぞれ立場は違っても、三木のために、献身してこられた方たちです。本当にお疲れ様でした。その方たちにとっても、このようなあいさつでさいごを締めくくらねばならないのは残念なのではないでしょうか。

予想通り、早くもHPにアップされています。議会の議決結果も、なにも発表されていないのに、なぜ市長の最後のあいさつだけがHPにのるのでしょうか。HPを私物化しているといわれてもしかたないのではないでしょうか。

最後のあいさつにご自分の地域政党の話を出したり、名指しで特定の人を攻撃したりするのは、フェアではないと思います。名指しされた人の共通項分かりますか?わたしも最初はぜんぜん分かりませんでした。会派代表者とか、決議案を出した人とかおもいましたが、そうではありませんでした。自分も入っているので、考えていたらある人がすぐ教えてくれました。名まえは決議の提案者でもなく、会派の代表者でもありません。ここに名前のない人を探していってすぐわかりました。

そもそも議会の最後に市長のあいさつなんているのでしょうか。それは他の市の議員さんに指摘されたことです。議会の最高責任者は議長なのだから、議長のあいさつでいい。うちは市長のあいさつなどない、と議会改革で有名な会津若松の議員さんがおしえてくれました。


本会議最終日

2011-03-30 | つながる三木

9時から運営委員会 10時から本会議があります。

わたしの四年間の議員生活のなかで最後の議会です。この四年間を振り返るとよかったのか、わるかったのか、検証はしなければなりませんが、まずはきょうの結果です。

23年度予算案のほか、

副市長をおく

三木市独自の父子母子福祉手当、出産祝い金の設置の是非

百条委員会の調査報告

等が審議され、採決になります。

傍聴またはFMみっきいでどうぞ。

もっと詳しい報告をお聞きになりたい方は、明日31日「共に歩む会の事務所」で

2時からと 7時から報告会をします。どうぞおでかけください。場所はこちら


3月議会も大詰めです

2011-03-29 | つながる三木

きょうは午前中、北播磨総合医療センターで予定地での安全祈願祭があります

午後は各常任委員会での文案検討と議会運営委員会

そしてあしたはいよいよ、3月議会の最終日です。と同時に、一期四年間の議員生活の大詰めです。

三木の市議会がどういう状態だったか分かりませんが、とにかく気の抜けない緊張が続いています。それが前向きの、建設的な緊張関係ならいいのですが、必ずしもそうはいかない現実の中で、自分の主張を通すのは、それなりの覚悟がいります。しかし最後までスジは通そうと決めています。そしてその後には

次の議会に出ることができるかの熾烈な戦いが待っています。


被災地にご縁があり、三木在住の方へ

2011-03-27 | つながる三木

いろいろなところで救援活動や義捐金、支援物資などの活動が繰り広げられていますが、それは、それとは別に、被災地の出身者として何かできないか、と考えています。

南三陸町に消防の方が出向き救援活動にあたられ、その後市の職員、市長と、次々現地に行かれています。しかし一般のものは、たとえ実家があってもなかなかいけないのが現状です。

宮城県の石巻市にはきのう、ボランタリープラザの稲見さん、黒井さん、坂本さんが行かれました。現地でボランティアセンターの立ち上げを支援されるとのことですので、現地の状況や、情報も、もっと詳しく入ってくると思います。

市では市営住宅の貸し出しやホームステイ先の募集も始めています。そこで、東北出身者である私たちになにかできないかと考えています。東北の被災者の方が関西へ、三木へ、避難してこられるのは、なかなか決断がいることだと思います。こちらにきてしまったら帰れなくなるのではないか、現地の情報が入らないのではないか、あるいは家族や友人、近所の人など今までのコミュニティがなくなってしまうのではないかという不安があると思います。

現に被災した母も、こちらに来る気にはなれないようです。

決断してこちらに避難してこられる方のために何かお手伝いできるのではないかと思ったのです。誰も知っている人がいないところに来るのはとても不安です。そこで東北の話題ができる人がいたら、すこしは安心なのではないかと思います。また支援が必要な高齢者の方や障がいのある方などの場合はこちらでの支援も必要です。

ただ、南三陸町でも、報道されているように、できるだけ近いところにいたいと、集団避難されるにしても、県内近隣市町を考えておられるようです。それはごく当たり前のことで、私たちはできるだけ、現地の人々の希望に沿って動くべきだとおもうので、まずは現地の情報を収集していきたいと思います。そしてまずは現地の希望に沿った支援をすべきだと思っています。

そのあとで、もしこちらにこられる方がいらっしゃったら、何らかの形で三木での支援ができないかと考えています。

わたしのメールアドレスです。何人か集まった時点でお声をかけて集まりたいと思います。

m.moteki@iris.eonet.ne.jp

 

 


社協の2台の車が石巻に向けて出発

2011-03-26 | つながる三木

きのう偶然ネットで、社協のボランタリープラザの所長以下3人が、石巻に被災地でのボランティア支援に行くということを知りました。朝9時に出発ということでしたので見送りにでかけました。現地は雪が降っているということで、タイヤチェーン等の整備もし、やや遅れて出発。3人で2台の車で、石巻まで約12時間の行程で出発しました。(無事到着したかなあ)

わたしにとっては実家のある石巻でボランティアセンターを立ち上げるお手伝いをしてきてくださるということでとてもありがたいことだと感謝しています。

驚いたことにはその拠点となる場所が、わたしの母がお世話になった避難所のある石巻専修大学というのです。偶然とはいえ、つながりを感じました。

三木の誇る、信頼できる力のある3人が1週間滞在して、現地でのニーズの拾い上げや、特に家にいるよう援護者の状況把握などができたらいいという話をきき、まさに母のニーズと思いました。何らかのお手伝いのルートができたという気がしています。

石巻と三木がつながりそうです。


妹が石巻へ

2011-03-26 | つながる三木

妹からのメールです。

 昨日石巻に行って 登記簿とかいれてた茶ダンス、上の部分車に積んできました 鍵がないし開ける道具もないし
それと着物類アルバムなど積める範囲で
二階にあがったらぎしぎしなってまず この家で住むのは無理と思いました
生活しないとなれば道具類はいらないけど 思い出、の物は使わないけどおばあちゃん残したいと思うんだよね
後は少しおちついてから行こうと思います

幸い命は救われたけれど、これからしなければならないことはたくさんあります。

妹のよびかけで「福子基金」というのをはじめることにしました。母がお世話になった避難所石巻専修大学の避難所4号棟4103号室の阿部さんご夫妻にみんなでカンパするというよびかけです。母を知っている方、又ご縁のあるつながりで、呼びかけるそうです。ささやかだけれど、顔の見えるつながりをつくりたい、ということです。阿部さんご夫妻は、家も流されて避難されたそうです。それでも母親に親身に世話をしていただきました。

母が生きていられたのは、自分自身の「生きたい!死んでいられない」という気持ちと、人のあたたかいつながりでした。

実家の再建も考えなければならないけれど、まずはお礼の気持ちを表したいという妹の趣旨に賛同して、子どもたちにも声をかけて、カンパを集めています。

ほかでも義捐金や支援物資などいろいろな形で支援の輪は広がっていますが、それぞれに気持ちを形にしていくことが大事だと思います。

ボラプラも支援活動に現地に行くとの情報を得たらなんと、行き先は石巻。現地でボランティアセンター立ち上げに協力するという。ありがたい。体に気をつけて行ってきてくださいね。又状況知らせてください。


きょうのミーティング中止です

2011-03-25 | つながる三木

きょう議員総会があり、

市長からの報告 宮城県南三陸町の被災状況などについて

があります。急なことなので、きょう一部にお知らせしていた、事務所での議会報告意見交換会は中止します。議会もいろいろな案件があり、お知らせしたいことや、ご意見を伺いたいこともあるのですが、公務のため申し訳ありません。

夜にも事務所は明けておりますのでお寄りください。

市長の被災地報告の報告や、教育センター、としょかん関連の報告もいたします。

 


気持ちがザワザワがおさまらない

2011-03-24 | つながる三木

妹から電話がありました。ようやく水道が通じたとのこと。そして、もうすぐガスが、通じるかもしれないとのことでした。

相変わらず燃料不足で、ガソリンを求めて4,5時間並ぶのはざら。1キロぐらい行列しているところもあるとか。

しかし、水が出たからといって喜んでいる気にはなれない。ガソリンが手に入ったら、又石巻にいくつもりだということでした。

そこで、避難所で母がお世話になった人たちになんとか、届けられるものがあるのではないか、という相談でした。

幸い母親は弟のところで落ち着き先を確保しているが、家も流され、行き場のない人もいる。

そんな中で、避難所で一緒の部屋だったというだけで親切にしていただき、お世話になったご恩をなんとか形にしたいというものでした。

そこでわたしも、少しでもと、振込みをすることにしました。全体の募金と共に、こうした直接のつながり支援も大事だと思うからです。早速東京、愛知、滋賀にいる子供たちにもよびかけました。母親の名前をとって「福子基金」とするそうです。

妹もなにかをしなければ、じっとしていられない気持ちなのだと思います。

わたしも、やらなければならないことは山のようにあるのに、こころのザワザワがなくならず、なんだか落ち着いてできない、集中してできないという状態が続いています。気持ちを切り替えなければと思いつつ、できない状態。

被災がそれほどに甚大でなかった地域でも、そんなこころのザワザワが広がっているようです。


教育センターの移転予定の場所

2011-03-23 | つながる三木

市役所北側にあるこの場所、勤労青少年ホームとしてつかわれていました。今はホームとしての機能もなく、臨時的に使われているだけです。

1973年に立てられているので、もう38年ぐらいになるのでしょうか。もちろんエレベーターもありませんし、内部の壁や床もぼろぼろです。改修して女性センターとして使用していたのですが、建物が老朽化して危険、相談は連携が必要ということで、教育センターに移転した経緯があります。

写真のように敷地もぎりぎりの立地なので余裕がありません。ここに教育センターを移転させる計画のようです。

さまざまな相談業務が一緒に移るので、相談室の確保や、プライバシーの保護、安全の確保もしなければなりません。虐待やDVなどの加害者がたずねてきたら、どうしたらいいのかのシュミレーションもしておかなければなりません。(男女共同参画センターはここではなく、隣保館に移る計画のようですが、そうなればますます連携は失われます)

また適応教室には、子どもたちが参加しているので、広いスペースの確保が必要ですし今の階段は急で危ないので、階段もつくりなおさなければなりません。

事務所も狭いのでどう確保するのか、コンピューターの部屋などはどこへおくのか、と考えていくと、やっぱりこの計画無理がでてくるのではないかと思ってしまいます。

教育センターのための移転ではないのですから、どう考えても今より機能低下になります。

むしろ今より機能を高めて三木の教育のためのセンターとして充実させていただきたいと思うのです。


委員会傍聴

2011-03-23 | つながる三木

2回目のとしょかん活性化構想委員会が開かれました。傍聴は私を含め4人。

委員会は委員長、副委員長のほか委員5名、教育委員会3名、図書館2名

資料は見ていないので分かりませんが、教育センターに移転した場合の計画が出されたようです。それが、なんと4段の書棚を2階から4階に、並べた計画で11万冊。現在のとしょかんにある書庫の6万冊余りはそのままです。

え、それはどうなるの?現在の案だと今のとしょかんに書庫だけそのままおくという計画でしょうか?書庫を並べただけで、中央図書館機能が果たせるのか?

仮に教育センターに書庫をつけたら、そのための費用が割りますことになり、ますます1億7千万が節約などという根拠がなくなる。

やっぱり、この計画そもそも無理だとしか思えない。

基本的な図書館の図が描けずに活性化なんてありえない!

今ならまだ間に合います。もっとじっくり検討してください。次回は5月だそうです


母情報

2011-03-22 | つながる三木

いろいろな方からブログを見て、よかったね、と励ましをいただきました。本当にありがとうございます。たくさんの方がテレビやネットの情報をみながら、被災地の様子を、見守っていただいているのだと思います。

その後母親は、発熱や肺に水がたまったとかで病院にいきCTをとりましたが、今のところ大丈夫なようでほっとしています。あれだけの惨事に遭遇したのですから、後でいろいろな症状が出ることは覚悟していましたが、大事でなくよかったです。最初のうちは何度も夜中にめがさめているようでしたが、このごろはよく眠れるようになったとか。しばらくはゆっくりとして体調を整える必要があるようです。

友人や同級生は、たぶんそれどころではないので、ぼちぼち連絡していますがなかなか通じません。

南三陸町は、昨年宿泊したホテルが無事で、おかみさんが宿泊者や避難者のお世話をしていると新聞やネットの記事で読みました。南三陸は、被害が甚大で以前の姿をまったくとどめていませんので、何をよりどころにとおもいましたが、元気に活動している人もいらっしゃということで、希望をつないで行きたいと思います。

南三陸町は、リアス式海岸沿いに、いくつもの集落があり、漁業と農業そして観光の町です。

都市部とは離れているので、仙台から、通常だと2時間以上石巻からも1時間かかります。こちらからだと日本海経由で、山形か秋田から入っていくのでしょうか。役場がやられて、人口17000人のうち行方不明者は8000人を越えるとも言われています。役場の機能も麻痺しているようで、戸籍のデータが消失とニュースでありました。これから、次々と変わるニーズで救援、支援が必要だと思います。必要な物資も変わっていくでしょう。長い目で支援できるような形をつくっていけたらと思います。


図書館活性化構想委員会

2011-03-21 | つながる三木

図書館を活性化するにはどうすればいいか、を検討する委員会が明日開かれます。

今回が2回目の委員会で、今回から公開で傍聴できます。

図書館は前回の活性化構想に比べ、蔵書数も貸し出し数も飛躍的に伸びました。

吉川、青山と地域の図書館が整備されたのがもっとも大きな要因ですが、今回は上の丸図書館の移転の話が出ています。交通アクセスが悪いというのがその理由です。確かに不便です。しかしそれは、建築当時から同じ条件です。そのなかで着々と貸し出し数を伸ばしてきた実績があります。

移転に反対ではありません。しかし、移転先としてあげられている教育センターが、ふさわしいかというと3つの点で疑問です。

ひとつには、積載荷重の問題。事務所仕様のこの建物に図書館の本が収納できる構造になっているのか、下に児童センターがあり、斜面に立っている立地ということもあって、安全性で疑問があります。

もうひとつには、2階から4階までを使った建物が、現在の図書館以上の機能を持つことができるのか。フラットな1階が理想といわれているとしょかんの建物を3階でまかなうことで、今の機能を損なうことにならないのか、という機能性の問題。

そして、3つ目に、移転を予定している教育センターが、そのためによそに移転しなければならず、それらの移転や改修の費用が、億単位でかかることです。

それらの問題が、委員会でどう話し合われるのか、明日傍聴に行くつもりです。どなたでもいけますのでどうぞ傍聴にお出かけください。

午後4時から、市役所会議室です。4階か5階と思いますので、市役所の案内表示を見てください。

図書館ではなく市役所ですのでお間違いなく。