もて木みち子 オレンジニュースブログ版

今年のキーワードはゆっくりやさしく社会を変える

2011-04-30 15:20:52

2011-04-30 | 東日本大震災
こんな感じ
実家をかたずけに娘が東京から行ってます。昔使った椅子がそのまま残っていますがなかはめちゃくちゃだそうです。植木はふしぎと健在です。松島がほとんど被害なかったのも松のおかげかな。

事務所閉めました

2011-04-29 | つながる三木

2ヶ月間でしたが、緑が丘東4丁目に事務所お借りしていました。きょう鍵をお返ししてしめました。オーナーのご夫妻もとても親切ないい方でした。

今回よい結果は出せませんでしたが、この機会に、新しくよいお知りありがたくさんできました。皆さん残念がってくださいます。申し訳ありませんとしか言いようがありません。

まだ書類やら手続きやらし残したことはたくさんありますが、ひとつづつ片付けていきながら今後のこと考えていきます。

今回で感じたのは、政策やら、主張やらと、選挙とは又別のものらしいということ。選ぶほうの心理行動をよめなかった、ことがあります。

でもいまさらどういっても仕方ないですね。選ばれなかったのに、これからどうするかは、皆さん関心あるようです。いろいろ言ってくださいます。

すこし考える時間ください。

 


被災地支援につながれば

2011-04-28 | 東日本大震災

選挙が終わったらしなければと思っていたことのひとつに東日本大震災への支援活動があります。まだ具体的にはほとんど何もできていませんが、これから息長く取り組みたいと思います。

更新できずにいた時期にこんなお申し出がありました。手作りスモックを届けるプロジェクト。

三木の社協ではこんなプロジェクト手作りの座布団頭巾を作成中です。

どちらも保育園や幼稚園之子どもたちに送るてづくりプロジェクトです。これをつないで、いけないかと考えました。

スモックのプロジェクトの方、ぜひ、三木のボランティアセンターまで連絡してください。私が仲立ちするよリダイレクトに連絡取ってもらうほうが早いとおもいます。

茂木のブログからといっていただければ分かります。直接子どもたちのいる保育園に届くように考えていきたいです。


おはなし会*絵本の森

2011-04-28 | 東日本大震災

きょうは毎月ある、おはなし会絵本の森の勉強会。毎月テーマを決めて絵本の勉強会しています。

きょうのテーマは『てがみ』手紙やお便りなどをテーマにした絵本をそれぞれ紹介しながら、話あい。ずいぶんたくさんの絵本が紹介されました。

その後話題は、教育センターに移転するという、図書館のことへ。

活動拠点にしている図書館の行方は、おはなし会にとっても重要なこと。選挙ではあまり話題になりませんでしたが、教育センターと、図書館の移転は、どのように進められるか、注視しなければなりません。市民の立場からも、しっかり意見を言っていこうと会員からの声。政治的な立場ではなく、市民の立場として、教育センター、図書館移転は取り組んでいくつもりです。

まずは図書館活性化構想委員会の2度目の会合を傍聴しようということになりました。委員会としてはどんな意見がでているのか、しっかり見ていく必要があります。

5月9日 3時から 市役所5階の会議室で行われるそうです。傍聴は誰でもできます。


やり残したこと

2011-04-26 | 東日本大震災

あいさつ行為の禁止という公職選挙法、により、お礼は差し控えさせていただきます。

これから、どうするというのが、皆様の関心であろうと思います。

まずこのオレンジニュースブログ版は続けます。ホットな議会だよりはお伝えできませんが、

市民からの発信はできます。議会の中だけでなく、『三木市つながり』を作っていくために、発信していきます。

市民だからこそ言えることはたくさんあります。

もっと自由な立場でモノが言えるかもしれません。

これから四年間の議会や市政をきちんとみていくことも、大切だと思います。

そんな場を、このブログで展開できれば、と思います。

『市民』の立場を、確立していくこと、それが、目標かな。

自分たちで選んだ議会を、きちんと見ていきましょう。

 

 

 


フツーの暮らしに戻ります

2011-04-25 | 東日本大震災

選挙期日後のあいさつなどは禁止されているので、失礼いたします。

ブログの更新も、選挙中は禁止されておりますので更新せずにおりました。コメントいただいた方申し訳ありません。

ここしばらく普段の暮らしも中断しておりました。

庭の草も伸び放題、ご飯も満足に作れていませんでした。

非日常の暮らしは、終わりにして、普段の暮らしに早く戻れるように片付けなどをしております。フツーの暮らしに戻しながら、このブログも再開していきます。


ブログ1週間更新お休みします

2011-04-16 | 東日本大震災

明日からいよいよ、市議会の選挙戦が始まります。静かだった三木市内が、この1週間はおそらく、にぎやかに、騒々しくなるでしょう。

わたしもあした、10時からの出陣式のあと、選挙カーで回る予定です。

きょうまでは自粛の意味もあり静かな日々をすごしていましたが、1週間は、市内を回り訴えていきたいと思っています。

わたしの訴えたいことは、二元代表制による議会の存在感を高め、民主主義を守ること

いのちを守る、教育、医療、福祉の充実

そして女性の声をもっと反映するなど、多様な民意を議会に反映させること

市民の力を生かした「新しい公」をめざすこと

などです。現在の施策と、どう違うのか、似て非なるものであることをどう説明するのか、そして、

使い古されたことばであるような、「是々非々」が本当に生きたものになるのかどうかを訴えていきたい

いいことはいいい、おかしいことはおかしい、といえる、地域社会を作っていくための1週間の戦いにしたいと思う。


大震災で思うこと

2011-04-16 | 東日本大震災

3月11日から1ヶ月以上すぎても相変わらず、余震は続き、不安の消えない日々をお過ごしの被災地の皆様には、繰り返しお見舞い申しあげます。

一方、皆様にご心配いただきましたが、おかげさまで母親も、ずいぶん元気になりました。しかし、実家には帰れる状況ではなく、父の位牌などわずかな荷物を運んだだけで、家の中の泥を取り出す作業もまだで、ボランティアの方の応援の順番待ちです。

今後どうするかの話も、選挙が終わってから、現地に行くつもりなのでそのときに兄弟で話をしようと思っています。5月の連休に甥の結婚式の予定でしたが、それもどうなるのか分かりません。

公務員である弟は相変わらず、仕事に忙殺されていますし、非日常な毎日は依然として続いているようです。

一方、関西に住む友人たちは、自分たちの活動の中で生まれたネットワークを使って、さまざまな活動を始めています。

子育て支援のネットワークでは、子どもたちに直接支援が届くような活動を模索しながら、支援に忙殺される現地のスタッフが、自分たちのために使えるお金のカンパ(震災の支援金では回ってこないところに)

避難所での女性の問題に取り組んできたNPOでは、なにが、問題かの指摘を、今までの蓄積を通して、警鐘を鳴らしています。被災地で起こる性被害は、その中でも、表面化されることのない深刻な問題です。環境の悪さや、プライバシーのなさ、告発市しにくい状況などで、関西まで相談が寄せられるといいます。阪神大震災のときにも、あまり表面化されず、むしろ意識的に隠されたその教訓を、今回はムダにしてはならない、ということで活動を続けています。

障害のあるかたや、高齢者施設に入っておられるかたのケアも、継続して行わなければならないでしょう。又施設や避難所に入っておられる方だけでなく、自宅で一人または高齢者夫婦などのお宅への安否確認やニーズ調査も必要でしょう。

このように話が具体になると、次々課題が見えてきます。それはまさしく阪神大震災のときの教訓であり、日常の暮らしにおいても共通していることはたくさんあります。

まだ見えないところもたくさんあり、今回は原発や津波など阪神淡路の被害とは違う被害も甚大で、いろいろなことはまだいえません。自分たちのできることをできる範囲で取り組んでいきながら、次につなげなければと思います。

 


市民のニーズを反映した新しい「公」

2011-04-15 | 東日本大震災

わたしの主張のひとつに、市民のニーズを反映した新しい「公」の構築」があります。

新しい公共という言葉とほぼ同じ意味に使っていますが、『新しい公共』は政府が提案推進しているので、それにのっかるというより、三木でのシステムを考えたいというのが新しい「公」の趣旨。

『公』とは何だろうという疑問の投げかけでもあります。

新しい公で何をめざすかというと、まずは情報の公開と共有化、そして公的な広報媒体の、市民本位の使われ方

その代表として、「広報みき」や市の公的なホームページの内容を見直すということ

広報みきは、市民が一番公平に届く広報媒体

しかし最近の特集記事は、(案)が多く、決まっていないことを、案として掲載し、既成事実のように見せるというのが多い。中身のないうちから、宣伝文句が飛び交い、案を事実のようにみせてしまう。その案も、市役所内部で綿密に練れあげたものならいざ知らず、担当課さえ、あまりよく知らない案が掲載される。

「広報みき」も、「ホームページ」も「記者発表」も、突然が多いのだ。案だから、事実とは違うこともあり、そのフォローはなされない。

市民を巻き込んだ、新しい「公」を構築しようとするなら、まずは情報をそのプロセスから公表することと、その共有化だろう。又、市民側から発信する情報も、「公」の情報に取り入れられるシステムを作ること。

もうひとつには『市民の皆様」 向けの、行政主導のボランティア、市民活動ではなく、市民がやりたい活動、現在もはや動いている活動に対しての支援のあり方。

行政のプランのお手伝いのためのボランティア募集やグループ作りではなく、市民や市民グループが提案した事業を具体化していくこと。

 

 


グチを出し合うだけで終わらせずに

2011-04-14 | 東日本大震災

尼崎市から現在市議会をしている、すださんが、子育て中のママたち対象に、いきいきセミナーを開いてくれました。子育てしながら、次のステップアップにつなげるために、情報収集したり活動しておこうという提案でした。

見渡せば、疑問に思うことはたくさんあるはず、それを解決していくためには、自分たちで動くことが大切だというメッセージ。

個人的なグチを、グチグチ言い合う場は必要だけれど、それをどう社会に反映させるかですね。


突然の協定締結

2011-04-14 | 東日本大震災

関西国際大学に看護学部を誘致することとについて、12日に突然、協定行うとの記者発表が行われました。

関西国際大学に看護学部を設置することについては新聞にも掲載され、そのことについてはいろいろな意見を集約しなければならないと思っていましたし、話題としてもあがっていました。

しかし、三木市が学部の設置費用について財政的な支援を行うことで誘致するということについては、事前にまったくの説明もなかったですし、そんな形で進めていいのかどうか、なぜ3月議会が終わり、選挙前のこの時期なのか疑問です。

北播磨総合医療センター企業団議会でもそのような具体的話の説明はありませんでした。

昨年、8月24日に企業団議会での質問に看護師の確保についての質問をしました。従来の取り組みと共に、なにか別の取り組みが必要ではないか、ということで質問しました。

そのときは、まだ公表できませんがという形で、含みのある発言をされていました。昨年の8月から話を進めてきたということなので、この前後から始まったことなのでしょう。看護の教育の話かとは予想しましたが、確かにその時点で具体的な話は出来ないとは思います。

しかし、その後2月に企業団議会でもそのような話は出ませんでした。

協定では

三木市が設置費用について財政的支援を行うとされ、企業団は運営費用について財政的支援を行うとされています。

つまり三木市の予算が両方で使われるという計画です。そのような計画の協定の前に、議会にはまったく事前の説明がなく、検討材料さえ与えられずに、いきなりの記者発表には、疑問です。

誤解のないように申しあげます。何も反対といっているのではありません。むしろ去年の8月に質問したように看護師確保についての戦略は必要だと思っています。しかし、財政が絡む協定には、議会での論議がやはり必要だと思います。それがなされる前に、協定が締結されるほど急を要することなのか。

成長戦略の第一弾として選挙前に出したいという、『秘策』のひとつ?

 


朝立ち

2011-04-13 | つながる三木

事務所前で朝立ちをしています。

朝の通勤や通学の方々にごあいさつをするくらいのものですが、車の中から手を振ってくださったり、声をかけてくださる方もいて、頑張ろうという気になれます。

準備不足で、昼から夜にかけては、事務所で準備のための事務作業をしていることが多いのですが、次第に事務所を訪ねてくれる方も多くなりました。

朝立ちのオレンジのジャンパーを緑の人の目の垣根隊に着替えて、そのあとは子どもたちの見守り。新1年生を迎えて、登校の列も少し長くなったような気がします。

それぞれの春を迎えて、心引き締まる朝です。

きょう水曜日は、朝立ち、人の目垣根隊のあと、10時から里の家で『子育てママたちのいきいきセミナー」に参加。尼崎から、須田和さんが来てくださいます。

入学、入園式を終わって、こどもを送り出した後、ちょっと自分の生き方考えませんか?

里の家は、志染公民館裏にあります。お問い合わせは、こちら


混合名簿の入学式

2011-04-12 | 東日本大震災

きのうは緑が丘東小学校の入学式

ぴかぴかのランドセルを背負った1年生が、家族と一緒に参加。

今回の入学式で、わたしが参加した限りでは、今までなかったこと。混合名簿で、女の子、男の子と分けずに、あいうえお順で名前を呼ばれていました。

なんら違和感なく、むしろ、男の子、女の子というわけ方とは違う雰囲気があってよかったです。

いまやランドセルもいろいろな時代。式のときに男女混合の取り組み、校長先生の決断に拍手!!

できるようでなかなかできない決断なのです。

新しく赴任された女性の校長先生でした。