怒りはなるべく静めて収めて、穏やかに話し合いを進めていきたいと思っていたけれど、やっぱり怒りがむくむくわいてくる。またしても図書館問題。
1年前の今頃、私は無謀な移転計画に怒り狂っていた。
そのときのある幹部の言葉が忘れられない。
「なんで、そんなに問題だと主張するのか分からないと・・・。」
その方に個人的な恨みは全くないけれど、その発言にブチギレた。
何もなくても、さまざまな想定をし、安全や安心を確保し、市民が本当に望んでいるかを見極めて、仕事をするのが行政ではないのか。まして、震災以降、さまざまな甘い想定や計画が、さらに、復興を遅らせている現状をどう捉えているのだろう。
全く問題ないといっていた計画が、数ヶ月で崩れ、又新たな計画を出してきた。そしてそれが「決定!」だという。一体1年前の計画変更に何を学んだのだろう。
甘い言葉で「新しいものを作ってあげますよ」と言えば市民は喜ぶとでも思っているのだろうか。
もうぎゃあぎゃあ言ううるさいやつらもコレで黙るとでも思っているのだろうか。
中津川の図書館計画が、建設途上で中止になったのをご存知だろうか。市民の総意を作り出すことをおろそかにすると、そういうことが起こりうる。中津川ではこの問題で市長が変わり、図書館計画は中止になったのだ。
1年前、移転計画に反対の人は、それなら「新築のほうがいい』と言った。私もそうだ。新築ができることを望んでいる。しかし、それは結果ではなく仕切りなおしをしようということだ。
仕切り直しをして、じっくり計画を練り直しましょうということだ。
「たて×よこ」はもっともっとあとの話だ。計画によっては丸い建物だってあるかもしれない。
館内の動線を考える前に、町全体の動線を考えるべきだ。まちづくりの中で図書館がどんな位置づけでどんな役割を担うのか、そのあたりの合意がないと設計なんてできない。
検討した結果、やはり文化会館駐車場になることもあるかもしれない。でもそのプロセスが大事だ。
それをしないと、無味乾燥のハコモノに本が並べられるだけになってしまう。それではあまりにもったいない。
そんなことは、何も私がぎゃあぎゃあ言うことではなく、図書館建設のいわばスタンダード。
どんな図書館をめざしているかは、「たて×よこの問題」ではない。
誰の発想かわからないが、たて×よこの問題にすり変えようとしている組織に私は腹を立てている。
コレは図書館だけの問題ではない。だからますます市民として腹が立つ。