未曾有の西日本豪雨災害とはいえ、わがエリアは天災が比較的少なくて恵まれていただけに、ショックが大きい七夕前夜となった。不幸にして被災された方々のご冥福をお祈りし、一刻も早く元の生活に戻れるように願わずにいられない。
在職中のこと、天災で忘れられない惨事がある。1980年(昭和55年)8月31日、新見支局長H松さん(当時51歳)が乗用車で豪雨被害取材に行く途中、土砂崩れに遭った。捜索活動は全職場から延べ700人を超す従業員が参加し、全社挙げての体制で連日続けられた。地元警察、消防関係、各官公署、地元民らも懸命の捜索活動に協力した。
しかし残念ながら9月16日、遭難現場から1.5㎞下流の高梁川で遺体発見された。現場記者が取材中に殉職したのは初めてと聞く。当時の社内報8頁の半分をさいて捜索日誌と追悼文で埋められている。
H松さんは尊い生命を賭して「記事は足で書く」という、取材の原点を教えてくれた訳だが、二度とあってはならない。(お断り:facebookに同文掲載)
ヨトウムシによって丸刈りにされながら、2週間でカムバック(髪バック)したツタカズラ
在職中のこと、天災で忘れられない惨事がある。1980年(昭和55年)8月31日、新見支局長H松さん(当時51歳)が乗用車で豪雨被害取材に行く途中、土砂崩れに遭った。捜索活動は全職場から延べ700人を超す従業員が参加し、全社挙げての体制で連日続けられた。地元警察、消防関係、各官公署、地元民らも懸命の捜索活動に協力した。
しかし残念ながら9月16日、遭難現場から1.5㎞下流の高梁川で遺体発見された。現場記者が取材中に殉職したのは初めてと聞く。当時の社内報8頁の半分をさいて捜索日誌と追悼文で埋められている。
H松さんは尊い生命を賭して「記事は足で書く」という、取材の原点を教えてくれた訳だが、二度とあってはならない。(お断り:facebookに同文掲載)
ヨトウムシによって丸刈りにされながら、2週間でカムバック(髪バック)したツタカズラ