てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

お別れ会

2010-12-22 11:13:00 | ファミリー
 義妹の生前の遺志により無宗教葬・自由葬としてお別れ会を滞りなく済ませた。参列者は家族・親族とごく親しかった友人だけで、読経の代わりに静かなBGMが流れる中、喪主(弟)の焼香に続いて、後は着席順での焼香のみ。

 お互いが出会えた喜び、伝え切れなかった感謝の念を花に託して、祭壇には家族や親族から寄せられた生花に囲まれた遺影が2葉。

 弔辞は義妹と同郷で幼馴染のミッチャンからのメッセージ代読(訃報を聞いて突然声が出なくなったため)があり涙を誘う。彼女は仕事が休みの水曜日には必ずやって来ては元気づけ、何くれとなく身の回りの世話をしてくださった。家族と親友仲間で千羽鶴を折って快癒を祈ってくれた。奇しくも、その彼女の一番下の娘さんの誕生日が義妹の命日となった。そして友引を挟んでお別れ会もミッチャンが休める水曜日を選んでくれるという粋な計らいであった。

 旅行会社に勤める弟は、仕事柄家に居る時間が少なく、家族に寂しい思いもかけたが、看病についた2年半はそれまでの30年分にも匹敵する濃密な時間であった。
 次々と襲いかかる病魔に「4つ5つかかって来んかい!」と力を振り絞って闘いながら、病臥中に亡くした義母と実母の墓参りと、息子夫婦の住む憧れの地への上京を夢見て、過酷な治療に専念してきたのだが、いずれの夢も遂げぬまま薬石効ならず力尽きた。
 皮肉にも海外旅行経験は新婚旅行のヨーロッパと、先年息子の結婚式をハワイで挙げた時の2回きりだったことを、弟は不憫に感じていると挨拶の中で詫びた。

 式場と控え室では、前夜息子がピックアップしたスナップ写真と、35年前に私が撮影した二人の結婚式の8㍉フィルムがフラッシュで流された。短くも太く生きた義妹の生涯が走馬灯のように駆け巡り、何よりの故人を偲ぶ会となった。


 蛇足ながら、高速道を下りる直前でうっかり覆面パトと知らず追い抜き交通反則キップを切られた。20日、22日の2日間にわたり岡山-芦屋を車で日帰りし、憔悴しきった心を一刻も早く我が家で癒したいと、つい家路を急いでいたようだ。スピード違反は交通三悪の一つであることを率直に詫びた上で、思いつくあらゆる抗弁を試みたが、当然のことながら容赦はなかった。高速道を制限速度(80㎞)で走行するなど渋滞を招く元でもあると思うのだが。
コメント (4)
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