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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

極楽ではどんな楽しみを極めるのか わが憶測

2016年05月24日 10時49分25秒 | Weblog

「極楽」は「楽を極める」とも読める。「至極極上の楽しみ」「極めつきの楽しみ」「感極まった楽土」「極上の楽土」などとも読めるかも知れない。

サンスクリット語では極楽は「スカーヴァテイビューハ」。ここは仏界の楽土である。だからそこは「仏国土」「浄土」ともされる。

人間の暮らしている場所は娑婆という。これは堪忍するところだから、「忍土」とも名付けられている。

この忍土のような苦しみがなく、仏道修行をしている菩薩が受けることができる楽しみだけがあるところということになっている。

おのれおのれおのれに振り回される世界、おのれだけを可愛がる地獄界・餓鬼界・畜生界の三悪道がないとも書いてある。

人間は苦しみがないと楽しみが分からない。比較することでそれぞれが成り立っている。楽しみがあるから苦しみもある、そういうことになっている。

が、仏界ではそうなっていないようだ。苦しみがなくとも楽しみが単独で楽しみとなっていられるようだ。

仏界はだから、おのれの執着から解放された楽しみ=仏界の楽しみをとことん極めて行くところでもある。あくまで人間のときに味わったような種類の楽しみではない。菩薩、仏陀として受ける楽しみである。だからすべてが未経験である。

憶測するにこれはたぶん「利生の楽しみ」であろう。衆生利益(しゅじょうりやく)を実践して行くときに受ける種類の楽しみだろう。

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だからそれで個々人が自慢をしたりすることはないかもしれない。ひとり悦に入ることもないかもしれない。仏陀を楽しくさせるような楽しみなのかもしれない。

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衆生が生きているのはこの地球上だけではない。この宇宙には三千大千の国土が犇めいている。その国土には衆生がそれぞれの暮らしをしている。彼らはまだ苦しんだり悲しんだりしているし、楽しんだり嬉しがったりもしている。

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そこへ飛んで行って救済活動をするのである。衆生に「絶対楽」を説いて回り、自分もその「絶対楽」を体験していくのである。

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断っておくけれど、これはしかし勿論さぶろうの憶測である。憶測の範囲を一歩も出ていない。午前中草取りをしながら漠然と考えていたことだ。

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楽しみというのは極まっていくのだ。そういう種類の楽しみもあるのだ。仏界に入ればそういうような未経験の楽しみが味わえるとなれば、忍土の生を死ぬのも悪くはない、そうも思えて来る。

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この地上での我利我利の楽しみなんていうのはすぐ飽きが来るし、底に当たってしまうものだ。そんなものをいつまでひっくり返して、瞬間瞬間の己にあてがっていれば気が済むのか。さぶろうは考え込んでしまった。

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娑婆世界の我利我利は一から十「おのれ可愛さ」で成り立っている。そこを抜けるところに「極楽」「楽土」の楽が広がっているに違いない。

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6時にはもう外に出て農作業

2016年05月24日 10時31分55秒 | Weblog

6時にはもう外に出た。涼しい内にしか外に出られないからだ。プランターに夏野菜の種蒔きをした。白菜系統だが、夏に収獲が出来る変わり種だ。1時間半ほどして休憩。朝ご飯を食べた。食欲がないので味噌汁だけ。それから引き続き2時間。無言一人芝居の1幕第2場。もくもくと草取りに精を出した。蚯蚓さんが次々飛び出してくる。家宅侵入罪を犯していることになりそうだ。「ごめんごめん」を呟く。取った草を集めて捨てに行った。それからしばらく有機肥料を隠元豆に撒いて回る。午前中はこれでお終い。テイータイムにした。今日は曇り日だ。日射しが薄れている。暑くない。東京榮太郎の紅茶飴を嘗めている。

 

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さみしい いるべきはずの誰もいない

2016年05月23日 19時47分01秒 | Weblog

さみしい。人が恋しい? 

さみしい。自分がいかにも頼りない?

さみしい。いるべきはずの誰もいない。影もない。だから?

さみしい。夜になって時間が音を立てなくなったから?

さみしい。指が触れるものをほしがっているから?

さみしい。なにもかもがもうすぐ終わりを迎えるから?

さみしい。充足感が嘘だと分かってしまったの?

さみしい。あれこれ言い聞かせても納得が出来ていないから?

さみしい。打つ手が見当たらない。

さみしい。たぶん、神さまがひょっこり下りてこられたにしてもいまはさみしいのだ。

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闇だけになった

2016年05月23日 19時32分18秒 | Weblog

闇が覆い尽くそうとしている。大地は已にうっすらの闇になった。空がこれを追いかける。一日が終わったのだ。

さぶろうは午前中ダウンした。7時に外に出て丸莢オクラ苗を植えたまではよかった。それから牛糞をトマト、ズッキーニ、ジャガ芋に施肥して回った。それから9時半まで草取りをした。日陰に入って。でも、異常を訴えた。力が出ない。豆腐のように蒟蒻のように体が姿勢を保てなくなった。家の中に入って、溜息をつきながら、裸になって冷水タオルで全身を拭き上げた。ひんやりした。生き返ってと思ったけど、食欲が湧かない。せっかくの丼も4分の1で箸を置いてしまった。たぶん、熱中症にかかったんだろう。目を閉じて横になっていたが、疲労感が増していくだけだった。ふうふう息をついた。15時まで寝入った。寝入っても疲労感が目を覚ましていた。

闇が大地も大空も家も木々もすっかり覆い尽くしてしまった。闇だけになった。さぶろうはかろうじて夕食を食べることが出来た。でもご飯は喉を通らなかった。

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蛙さんがげこげこげこ

2016年05月23日 19時20分52秒 | Weblog

蛙さんがげこげこげこと鳴いている。斉唱をしている。え。明日は雨? じゃないよね。降りそうにはしていない。でも、降ってくれた方がいい。土がからからに乾いている。夕方、水撒きをしたのだけど、限られている。水撒きをしている間に、腕を数匹の蚊に食われてしまった。老爺の血なんておいしくないだろうに。気がついたときにぱちんぱちんと叩いた。蚊取り線香をつけるのをおっくうがってしまった。

蛙さんがげこげこげこ。人間だけが生きて暮らしているのじゃない。ここは蛙さんも生きているところである。夕方を分け合う。さみしくなくていい。

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忙しい忙しい

2016年05月23日 10時07分06秒 | Weblog

朝7時に畑に出た。気温が見る見る内に上昇してとても日差しの中にはおれなくなった。なるだけ日陰の部分を選んだが、そうばかりはいかない。ともかく9時半まで作業を続けた。深い穴を掘り牛糞を施肥し、丸莢オクラ15株を植え終わった。それから大きく育って来た唐黍とズッキーニ、ジャガイモ、トマトに追肥をした。ここでばててしまった。へとへと。体力が付いてこない。無理をするこたあないのだ。引き上げて来た。汗を掻いているので、シャワーを浴びた。さっぱりした。体力が回復するまで横になってみた。後は夕方だ。日が落ちたら再挑戦をしよう。その間に園芸店に行って牛糞を追加購入しておこう。殺虫剤オルトランも。忙しい忙しい。

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僕はデートを申し込む

2016年05月23日 05時28分49秒 | Weblog

僕はデートを申し込む。彼女がすっと手をのばす。瞳がにこやかに僕を受け入れている。オーケーなのだな。たおやかな白い手だ。ノースリーブの腕にはジャスミンの匂いがしている。何処へ行こうか。彼女は海の方角を指さす。僕たちになった僕たちは、車に乗り込む。丘の上に来るとそこからは青い海が、入道雲のように膨れあがる。僕たちは息を呑む。車が止まる。そして初めてのキスをする。甘くておいしいキスだ。でもそこでおしまいになる。彼女は夏風。風のスピリット。窓からすっと空へ抜けてしまった。デートはほんのしばらくだった。それからの僕は白い砂浜へ出てひとりになった。

 

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お化粧も終わっている

2016年05月23日 05時22分26秒 | Weblog

僕はうずうずしている。誘うからだ。朝が僕を誘うからだ。明けたばっかりなのに、もう身繕いを終わっている。お化粧も終わっている。だからわたしを見て見てという誘いなのだ。今日は新しく青いワンピースだ。首にはネックレス。午前5時半のサファイアだ。

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肢体をかがやかせてみせる 美しく妖しく

2016年05月23日 05時10分59秒 | Weblog

夏時間の午前5時。朝焼けの雲がたなびいている。筋雲が赤く染まっている。背後に回っている空は水色をして、曙光を際立たせる。僕は窓を開けてこれを眺めている。そしてここに僕がいることが信じられなくなっている。信じられなくなった僕へ、朝焼けの雲がなおも美しく妖しく、肢体をかがやかせてみせる。

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大きな意思と深い愛情に低頭する

2016年05月23日 04時59分07秒 | Weblog

夜という静かな時が来る。僕に来る。僕は眠る。長く長く眠る。するとどうだ、あんなに疲れていた僕が、すっかり元気になっている。なあんだ、ひたすら僕を元気にするためだったんだ。夜が来るというのは。夜があんなに静かになるというのは。

僕は目覚める。明るい朝になっている。眠りから目覚める。爽快になっている。眠らなかったら目覚めるということもなかったんだ。僕を目覚めさせて、元気にしてくれて、その上で爽快にさせた夜と朝の、大きな意思と深い愛情に、僕は低頭する。

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