話をする人が「わたし」。一人称のわたし。わたしのことを「わたし」と言う。
話を聞いてくれる人が「あなた」。二人称のあなた。語り掛ける人を「あなた」とする。そこにいてもいなくてもいいけど。
話の中に登場して来る人、ものが三人称。誰の話の中だっていい。直接的には、わたしの語り掛けが届かない。
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話をしないときにでも、しかし、わたしはわたし。無言でいても、わたしはわたし。聞く人のあなたがそこにいなくても、わたしはわたし。わたしを、ときおりあなたにして語り掛けていることがある。モノローグ、独白がそれだ。
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一人称も二人称も三人称も、複数形がある。「わたしたち」「あなたたち」「彼らたち」「それらたち」になる。そこに複数居る場合だ。
英語表現では一人称単数は「I 」、一人称複数は「we」。二人称はなぜか多数系も複数形もどちらも「 you」。三人称単数形は「 it」であり、複数形は人も物も「 they」である。
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口を持たない「物」は、一人称にはなれない。耳を持たない「物」は二人称になれない。
発言する口や、聞き取る耳を持たないでも、しかし、「物」は三人称になって、堂々と登壇できる。
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わたしが、では、口を持たなくなったらどうだろうか? 今日は此処を問いたいので、これまでの前置きを書くことになった。
死んだら口を持たなくなるはずだが、それでも、持ち得た場合はどうだろうか? これがわたしの今日の疑問だ。
(瞑想するときにもいつも口がある)(死者の魂soulにもspiritにも、表現したい口が残っているかもしれない)
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「わたし」は、随所にいるような気がして仕方がないのだ。しかも時を問わず。一人称を主張する「わたし」は、たとえ物故しても、存在しうるように思うのだ。
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何度生まれ変わっても「わたし」は「わたし」だからだ。「わたし」のことを「わたし」としか表現し得ないからだ。
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おかしなことを言うようだけれども、現在のわたしは10000回目のわたしである。そんなふうに思えたりする。
わたしがどんどん進化を続けているからだ。1回では完了できない完成できない。だからなんどもリピートをする。次こそは次こそは、と念願して再生する。蘇生する。
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話が長くなった。ピリオドを打とう、ここらで。
広大な宇宙に、わたしがたくさんいる。いつでもいつでも、どこにでもたくさんいる。しきりに考えていたりする。
そんなふうに考えたりもする。おかしなわたしだ。