<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

欲しい物があるか

2015年07月16日 17時49分13秒 | Weblog

欲しい物があるか。ある。

何が何でも欲しいか。欲しい。

欲しい物があるという男は前へ前へ出て錬磨し貪るようにおのれの力を養って行く。秘めて秘めているのだが、闘志が漲っている。

では、欲しい物は得られたか。得られていない。得られていないどころかますます遠くなって行く。男を磨いて磨き抜くかのように。

見失わないでいるために、男はそれを見据えている。見据えながら近づくのだが、距離は空いたままだ。

ときおり欲しい物が欲しくない物になろうとするので、迷いが生じることがある。勢いが落ちることがある。

するとそれが今度は男の方へ寄って来て手招きをする。男はまたもやそのものの放つ魅力の虜になってじりじりする。

そして、それが男に語りかける。「欲しい物があるか」と。

男ははっきり「ある」と答える。真剣になって答える。

これを繰り返して男はとうとう老人になった。欲しい物と男との間の距離は以前として縮まっていない。

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しなやかに撓って耐える 

2015年07月16日 17時20分46秒 | Weblog

風が強くなって来た。吹かれるままの草木に為す術はないのか。逃げる足はついていない。大揺れに揺れている。捉まるものがあれば捉まりたいところだ。ニガウリの蔓が竹垣を巻いてしがみついて怺えるが、風も容赦がない。突き放しにかかる。今は西風になった。高く伸びた草木ほど強く影響を受けることになる。しなやかでなければ張り裂けて終いかねない。撓(しな)る。撓れるだけ撓って耐えている。木っ葉がちぎられて空を飛んでいく。風もずっと同じ勢いで吹きまくっているわけではなく、一旦止まってやわらいだりしている。それが息を吸ったり吐いたりしているようにも見える。台風も生き物やもしれぬ。第一、ぎょろりとした大きな目がある。

 

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摩訶不思議底

2015年07月16日 10時40分07秒 | Weblog

いつも夢見心地で過ごしていていいのならどんなに愉快だろうか。現実がどうだろうとおかまいなしになっていていいのである。年を取ってくると体がなまってくる。動かなくなる。するとそれを庇うようにしてこころが活発に動き出してくる。それで勢い、こころの世界を生きるようになる。度を過ぎるとこれは痴呆症に近くなるかもしれないが、それでも現実面でははっきり実現不可能だったところ、この障碍の城壁が融け出してきて、いつしかこれもあれも実現可能になっているのだから、このうつらうつらの夢心地の効能はばかにならない。第一、楽だ。苦労がない。汗をかかない。それをそうだと思い切ればいいのである。空想と非空想の境を消してしまえば往来が自由になるのである。小説家が書いている小説は、実は100%このあたりの産物なのではあるまいか。あることないことが、みな有るになって動き出して、これを読む人も引き入れられて現実同化をする。兎にも角にもそうだと思い込みさえすればいいのだ。手っ取り早い。実際に起こっていなくても起こったことと同質同量の快楽も得られるのである。こころはこんなふうに活用ができるところが不可思議、摩訶不思議底なのである。

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暢気な父さん髭三本

2015年07月16日 09時59分37秒 | Weblog

お金が欲しいなあ。空から1万円札がサクラの花びらのように花吹雪して降って来てくれないかなあ。両の手の平を差し出しているとそこへ美しい花吹雪が静かにおごそかに舞い降りてきて、「ご主人様、これで願いを叶えてください」と声がして、花吹雪の万円札は堆く積もって行く。

こんなにたくさんあったらどうしよう、どうしたらいいのかもう分からなくなっているけれど、「これは大空の意思です。たっぷりたっぷり受け止めてください。あなたの活用を待っていたのです」の声も聞こえてくる。

さすがに重たくなって支えきれなくなって、林檎箱の空箱に順次移し替えるけれどもうその箱すらももう一杯に成って零れそうになっている。空の黄金桜の花は真っ盛りのようで朝は昼になり昼は夕方になりやがてもう一番星がきらきら輝くようになっても、降り止まない。

見回してみるとたくさんの人がいてどの人も同じように両手を広げて花吹雪を受け止めている。これが村中に広がっている。町中に続いている。それでも空の黄金桜は千本も万本もあるらしくて果てしがない。世界中の人が欲しいだけ手にしても、それでも宇宙の豊かさは新しく新しく生まれ育ってきて無制限でおしまいにはならない。

さぶろうは、今朝うつらうつらしながら、こんな夢みたいな瞑想をした。瞑想をしているうちに、まどろんでいた。宇宙の財を独占しないでいいところ、誰にも共有、共用であるところ、それが大空のやさしい意思であるところが、さぶろうをほっとさせ、愉快にさせた。

これはあながち空想で終わっているわけではない、実際のところで現成している、そういうような気がしているところがあって、夢心地のさぶろうは、まことに暢気な父さん髭三本である。

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我が家の庭はユリ園 今真っ盛り

2015年07月16日 09時56分13秒 | Weblog

空は青空です。そこに白い雲がうっすらして流れています。我が家の庭はいまユリ園になっています。真っ盛りです。大輪のユリたちが「わたしを見てほしい」「美しいわたしを見てほしい」と呼びかけています。そうだろうなあ、たくさんの人に見てほしいだろうなあと思います。でも、見て褒めてくれる人は限られています。観光バス一台くらいがとまってぞろぞろ下りてきて絶賛してくれたらよかろうにと思います。大輪に混じって、鹿の子ユリの黄色やピンク、鬼百合の赤茶がやや控え目にしています。

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宙で泳ぐ豆の長い蔓先

2015年07月16日 09時54分07秒 | Weblog

台風接近で風が出てきたようです。ナタマメの蔓が長い触覚を延ばしたようにして宙で泳いでいます。気温が低くなっているので半袖では寒く感じられます。今朝の味噌汁の具は空心菜でした。茎の中が空っぽになっているのでこの名があるようです。別名台湾ホウレン草、あるいはエンツアイとも言います。成長が盛んです。歯触りがよくてわたしは好きです。

台風が押し寄せて強風が吹いたら蔓性の野菜がまともに被害を受けそうです。南瓜も冬瓜もニガウリも隼人瓜も竹垣を高く登っています。風に煽られたらひとたまりもないでしょう。トマトも草丈が3m近くになっています。支柱だけでは支えきれないでしょう。

 

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朝からとろりとろり

2015年07月16日 09時27分07秒 | Weblog

おはようございます。夜中に何度も目が覚めます。で、ダム放水をします。すると今度はなかなか寝付けません。で、枕元に置いている本を開くことになります。小半時ほど活字を追っていると疲れてきます。で、明かりを消してしばらく瞑想をしながらまたいつのまにか入眠します。そういうわけで眠りがいつも浅いようで、朝になって朝食を済ますととろりとろりして来ます。ついさっきもそうでした。坐した格好のままで首を深く前に倒すようにしてまどろんでいました。これはこれで気持ちのいいものですけど。

 

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無所有でいいのだった

2015年07月16日 02時18分04秒 | Weblog

体に入ったものは、まもなく体を出る。出ないと大変だ。出るからこそだ。出て入る。わたしに入るものは、わたしを出て去る。永久にわが所有としておくことはできない。無所有なのだ。しかしこれでいい。これで水が澄む。流れて行くから水が澄むのだ。腐らないですむのだ。では、わたしそのものはどうか。現れてやがて消える。無常だ。常住不変というわけには行かない。しかし消えたままではない。消えたらまた現れることができる。新しく新しくなることができるのだ。これが命の大河だ。


わたしの命の大河はこうやって貫ぬいている。

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