<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

速成就仏身

2015年07月31日 14時37分52秒 | Weblog

毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身      妙法蓮華経「如来寿量品」の結句より

まいじさぜねん いがりょうしゅじょう とくにゅうむじょうどう そくじょうじゅぶっしん

(仏陀=ここでは釈迦牟尼仏=は)つねにこの念を作(な)せり。(すなわち)いかんが衆生をして無上道に入らしめ、すみやかに仏身を成就するを得せしめん。

どうしたらこの世に生きるもののすべてを無上道(=人間の最高最善の生き方=仏道)に導き入れたらよいのだろうか。どうしたら一分一秒でも早く仏としての生き方をその身に成就させることができるだろうか。わたし(説法者の釈迦牟尼世尊)はいつもこのように思って仏法を説いています。

さぶろうは何度も何度もこの法華経に戻って来ています。今日は如来寿量品第十六の最後の段、いわば締め括りの部分です。仏陀の説法の芯蘂はわたしを仏にすることです。仏陀はこれを念じて念じて説法を繰り返しておられます。

ということは、つまり、こういうことの確認です。

1,人間は誰もが無上道(仏陀と等しい暮らし方)を歩いて行くことができるということ。

2,人間は誰もが仏身(仏陀と等しい暮らしをする身心)を身につけることができるということ。

わたしにできないことを仏陀が勧めておられることはありません。あなたも仏となりなさいと結論してくださっています。仏陀と等しい暮らしをすることが成仏です。

でもわたしたちは、仏陀と等しい暮らしなんかできっこないと思ってしまいます。仏陀と等しいなんて傲慢な思想だ。傲慢になってはいけないと自分をたしなめます。そういうことが自分にできるわけがないと諦めます。そしてすごすごと引き下がってきます。でも、仏陀はそういう逃げ腰のわたしに向ってしきりにしきりに手招きをされます。戻って来なさいと手招きをされます。

今日のさぶろうは「速成就仏身」に元気づけられています。いつになるかはわかりません。仏陀は一分一秒でも早くそうなりなさいと急き立てておられますが、我が身の愚かさ加減をかんがみれば、とてもとても即応実践はできませんが、そう(成就仏身)させようとしておられる仏陀のこころを思って元気を頂いています。

 

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日照りを受けるだけ頑強になる仕組み

2015年07月31日 14時05分23秒 | Weblog

ぎらぎらぎらぎら太陽が照りつけています。大地が焼けています。植物たちはこの日照りをまともに受け止めています。逃げていけません。彼らに逃げるための足はありません。逃れられない代わりに、日照りを受ければ受けるだけ、それだけ頑強になるように遺伝子操作が進んでいるのかもしれません。そういう仕組みがないと彼らはこの暑い夏を乗り切ることはできません。日照りを跳ね返しつつ葉っぱの緑が濃くなっているように見受けられます。人間にはこのあたりの進歩向上が獲得されていないので、酷暑の夏は日陰に逃れてきて冷房の恩恵にあずかるほかありません。

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じんじい

2015年07月31日 06時52分41秒 | Weblog

「じんじい」という呼び名をはじめて聞いた。5才の女の子が湯舟の中でお爺に呼びかけている。「あのね、じんじい」「あのね、じんじい」ここは阿蘇。五岳のうちの三つが見える。僕は朝湯中。露天だ。

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