小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



昭和39年の開業以来、営業運転中の乗客の死亡事故を一度も起こしていない安全神話の象徴のような新幹線。しかし、開業当時から数年間は保線作業中の事故が相次ぎ多くの死傷者が出た。この小田原でも昭和41年の春に保線作業中の大きな事故が発生している。国道1号押切橋交差点から中井町方面へ続く県道709号線。小田原市中村原地内には新幹線のガードがある。ガード手前の店舗横を小田原方面に曲がり、しばらく進むと新幹線の高架に沿った側道が続く。下り線側の側道を進むと、ダンボール工場の横からゆるやかな登り坂になる。緩やかな坂を上っていくと側道は行き止まりとなる。突き当たりには一基の石塔と線路フェンスには保守管理用の扉が設置されている。フェンスの先には東海道新幹線の天神山トンネルの東側出口。すぐ傍を猛烈なスピードで新幹線が通過していく。この天神山トンネル近くの供養塔に初めて訪れたのは数年前。散策の途中、たまたま迷い込んでこの場所を知った。供養塔には名前や目的などは刻まれておらず、裏側には「昭和47年4月25日建之 有志」とある。当初は何のための供養塔なのかは分からず、場所的に天神山トンネルの工事中の事故の犠牲者を供養するものだと思っていた。この供養塔について、先日調べてみようといくつかの手がかりを探した。供養塔裏面の4月25日という日付。それと供養塔横の保守管理用の扉にある68K517Mの表示。それら2つのキーワードで調べたところやっとこの供養塔の意味が分かった。昭和41年4月25日夜、新横浜・小田原間の68km付近の線路で保守作業を行っていた16名の作業員に、臨時試験運転列車の971Aが衝撃。この事故で4名が亡くなり5名が重軽傷を負った。971Aは時速210kmで走行中だったため、事故現場から3kmほど先で停止。この小田原での事故を教訓に以後、夜間の保守体制の安全について様々な施策が考えられた。中村原の長閑な風景の中を猛スピードで通過していく東海道新幹線。これからも無事故で安全な運行が続くことを願い、供養塔に手を合わせてから帰路についた。

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