多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

私の無意識の「怒り」

2019-07-04 08:16:08 | 愛着障害
私は 胎児期も 乳幼児期も


過酷な状況にあった。


育つ過程でも、決していい環境とは言えない状況で過ごした。


身体的ハンディと、発達障害、成育環境。


自分が「自閉症」だと 思ったのは、12歳の時である。


ハンス・アスペルガーやレオ・カナーの名を覚えた時期である。


様々な本を読み、フロイトやユングの名も知った。


自分の思考の癖や、親が育ってきた環境などにも


関心が向くようになった。


正式な勉強はしていないし、カウンセリングを受けた事もないが、


精神分析や 心理学の知識を得た事は、私が生きていくうえで


役にたった。


結婚し 子どもを育てながら、自分の欠けのみならず、


夫や 子ども達の「欠け」を意識する事ができた。


夫の 愛着障害にも気づく事ができたし、


日々の関わりの中で 私も 夫も、お互いを支えにして


成長して行く事ができた。


私は持病が多いので、複数の主治医がいる。


かかりつけ医から 紹介された病院に出向く事もあり、


診察や 投薬を受けた医師は もう数え切れない。


私は 原則 医師の治療方針には従う事にしている。


その上で 自分では納得できない事や


いくら良い治療でも わが家では不可能な事は


その都度 相談する事にしている。


過去に 数回、どうしても医師の方針に納得できなくて、


かなりもめた事がある。


当時は 医師に非があるようにしか思えなかったが、


振り返ってみて、その医師たちに共通点がある事に気付いた。


科は様々だが、


「男性医師」


「年齢が私に近い」


「指示が威圧的」


なのである。


この3パターンが揃った時だけ。


どうしてなのかなあ、と自分を振り返った。


幼い時から 何度も言われた言葉の中に、


「お前が男だったら(よかったのに)」というものがある。


家の中でも言われたし、時には 外でも。


私には 妹がいるが、妹に対してそうした言葉を掛けた人は


私の記憶に残る限り、いなかった。


私の中に、「男の子に生まれていたら、こんな思いはしなくて済んだのに」という


気持ちがあったのだと思う。


普段は 封印されているのだろうが、


自分と年が近い男性と 日常的に関わる場面で、


この無意識の怒りが出て、目の前の相手に向かうのだと思う。


自分が成りたかった立場にいる人への攻撃。


診察や投薬の不備であったり、病院では避けられない事だが、


些細な事にも腹が立った。今思うと3パターンに当てはまる時だけ。


自分では 当然の怒りだと思っていたけれど、


そうではなかった。その時の私は、意識の底に押し込めるしかなかった。


「男の子に生まれていたら」「男の子に生まれたかった」という


自分の中の思い。


手放すことができて、本当によかった。

















 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿