多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

私のイヤイヤ期その後

2017-09-22 20:10:26 | 愛着障害
幼児期に、「イヤ」と 言えなかった事を 知らず知らず


引きずっていました。そして その「ヌケ」を 取り戻すべく、


私は 心身共に 「イヤイヤ期」に 入っています。


最初は 夫に 様々な人、特に親や 幼い時に関わった大人の姿を


投影して、やたら 八つ当たりしたりしていました。


夫も辟易して 「お前は何が気にいらないんだ?」と


聞かれ、自分が イヤイヤ期にいるんだなあ、と


感じた次第です。


その後 大きな 爆発は 起きていません。


先日 通院先の病院が 移転しました。


場所もすぐそばで わかりやすく、迷うこともないのですが、


「移転のお知らせ」を もらってからも、診察に行こうとしても


足が止まります。薬が切れかけて 限界、と言う日に


ようやく 病院へ行きました。そばを何度も 他の用事で通っていても、


その病院には 行く気が 起きませんでした。


出掛けた日。病院のある ビルの入り口の階段で足が止まります。


移転前には 無かった 入口の階段。


抵抗を感じるのは 自閉症のこだわりや 変化への弱さではない気がします。


感じるのは 「何でここに階段があるの?」という 疑問です。


幼い子が 「何で?何で?」と 質問を 繰り返す、そんな感じに似た感情です。


大人の 私が 通りかかる大人をつかまえて質問するのは 


おかしなことです。ですが 私の中の 「小さな子」は


答えを求めて 立ち止まっています。


私は ビルに入る他の人の じゃまにならない場所によけて、


「自分が 知らないうちに なぜ 入口に階段ができたのか 知りたいよね」と


小さな自分に 声をかけ、少し時間をかけて ビルに入りました。


病院の内装も 変わっています。


ソファの色も、壁の色も。


私は 探し物をするふりをして、すみっこの席へ行き、


しばらく 時間をかけてから、受付へいって 手続きをしました。


ポーチに入れた筈の 診察券がありません。


「診察券が見当たりません」と 言って 番号札をもらいました。


久しぶりなので、検査の後 診察です。


検査室も 器具の位置が違うし、新しい機械も入っています。


指示に従いつつも、何となく違和感。


検査が済んで 結果が出てから 診察室へ。


先生に 来なかった間の経過等を 報告して、


無事 診察終了。


待合室に戻ったら、看護師さんが


「忘れ物ですよ」と 持ち物を届けてくれました。


しばらく待って 会計をすませ、処方箋をもらって


バッグを開けて ポーチに 保険証を入れようと開けたら、


さっきは なかった「診察券」が ちゃんと ありました。


見当たらなかったのではなく、私が 多分「出したくなかった」のだという気がしました。


「思うようには 動いてやらないぞ」という 反抗でしょうか。


診察室での 忘れ物も、「だだこね」の代わりのように感じました。


こうやって 少しずつ「ヌケ」を 埋めているのだなあ、と思いました。








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花風社

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