弁当箱に収めるのに、エビフライを切って入れることがある。シッポはどうせ食べないのだから、入れないことも多い。
すると、うまくない。味には影響がないはずなのに、エビ風味のすり身を食べているみたいだ。エビフライ、子供のころの感覚でいえば御馳走、なわけだが、シッポなしだと何とも味気ない。
どっちみち食べないのだから、というのは、合理的なようでいて、実は、「見た目、盛り付けも食欲に大いに影響する」ということを見落としている。大事なポイントを見逃しているのだ。
考えてみれば、このように、思慮の浅い合理主義、に振り回されているような気もする。一見無関係、無駄なことであっても、実は大切、ということは、目を凝らせばたくさん見えてくる。
落ち着いて深いところまで思いが及ぶ人になりたい。
すると、うまくない。味には影響がないはずなのに、エビ風味のすり身を食べているみたいだ。エビフライ、子供のころの感覚でいえば御馳走、なわけだが、シッポなしだと何とも味気ない。
どっちみち食べないのだから、というのは、合理的なようでいて、実は、「見た目、盛り付けも食欲に大いに影響する」ということを見落としている。大事なポイントを見逃しているのだ。
考えてみれば、このように、思慮の浅い合理主義、に振り回されているような気もする。一見無関係、無駄なことであっても、実は大切、ということは、目を凝らせばたくさん見えてくる。
落ち着いて深いところまで思いが及ぶ人になりたい。