①うちの愛しのぶっちゃんと「愛しのチロ」(1990.2 初版 平凡社)、「チロ愛死」(2010.9 初版 河出書房新社)
②手ってがかわいいみーみー。
③寝ぼけてるにゃんちん。
「生」と「死」
それは反対のようで、すごく近いものなんだなということをすごく強く感じます。
それは、自分の病気がきっかけでもあるのだけれど、以来、いろんな人の死に接して思うことでもあります。
死に向かっているチロと裸の女性。
死に向かっているチロと続いている日常。
陽子さんの死とチロの死。
骨になったチロと骨箱を抱えるアラーキー。
いつもそこにある空。
「死」が見えるからこそ、さらに「生」を強く感じ、さらに、何かがなくなっても、やっぱり日常は続いていくということ。
そんなことを「チロ愛死」から感じました。
そして、私の「生」の原動力の一つでもある「にゃんずの死を看取る」ということ。
それは、今から想像しても、すぐに涙がこぼれてしまうくらいしんどいことで、きっとペット・ロスまっしぐらだろうなと思うけれど、生きているからには避けられないこと。
「チロ愛死」は何度見ても号泣なんだけど、にゃんずの死に向かう覚悟が少しできたようにも思います。
「こんなに俺を愛してくれた女はいない」とのアラーキーの言葉だけれど、うちのにゃんたなんかまさにその通り。
tatsuをこんなに愛した女はにゃんただけかもね・・・と思います。
「チロはAの愛人生、ずーっと。」
そう、いつか亡くなってしまっても、ずーっと一緒だし、大好きな気持ちには変わりはない。
そして、今は一緒に生きている時間を大事にしていきたいなと思います。
時々考えてしまいますが、辛い事だと思います。
私も何度かその経験をしていますが、
今のにゃん子達は、姉妹でとっても仲良し。
片方がいないと、片方が心配している位いつもべったりなので、
片方がいなくなったら、かわいそうだなあって、
良考える事があります。
辛い事はいやですね。
ないといいんだけど。。。。
私は未経験なので、なんだか想像できるような、できないような感じです。
ミィ~ちゃんとセフィちゃんはすごく仲良しで、いつも微笑ましく写真を見せていただいてます。
確かに、片方がいなくなったら、きっと悲しむんだろうなあ。
ほんとに・・・考えたくないけれど、時々考えてしまいますよね。
辛いことだけれど、心の準備も必要なのかなと思ったりもしています。
特に私は精神的に弱いところがあるので・・・。
アラーキーさんのところのチロちゃんは22才で亡くなったそうです。
大往生ともいえるんではないかな。
にゃん太ママさんのところのミィ~ちゃんとセフィちゃんも、うちのにゃんずもまだまだ長生きしてほしいですね。