平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

「イエスを信じる」とはどういうことか

2017-01-16 08:03:07 | 礼拝メッセージ
2017年1月15日礼拝メッセージ
『「イエスを信じる」とはどういうことか』
【使徒9:1~9】

はじめに
 今日からまた、『使徒の働き』の学びに戻りたいと思います。
 去年の『使徒の働き』の学びでは、使徒8章のピリポのサマリヤ伝道の箇所までを学びました。

聖霊の力
 ごく簡単に振り返っておきますと、『使徒の働き』1章では、イエスさまが使徒1:8の有名なことばを弟子たちに残して天に上って行きました。有名な使徒1:8をご一緒に読みましょう。

1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 聖霊を受けるとイエスさまの証人となる力を受けます。この聖霊の力を受けることでペテロやヨハネは力強くイエスさまを宣べ伝えることができるようになりました。また、パウロは異邦人への伝道のためにヨーロッパ方面にまで足を延ばして地中海沿岸の地域を巡りました。広大な地域を旅しながら伝道をするには並外れた気力と体力とが必要です。聖霊はそれらを与えます。二千年前だけでなく、現代においても同様です。特に宣教師の働きはすごいと思います。自分が生まれ育った国とは違う国へ出掛けて行って、聖書の神様を宣べ伝える働きは本当に大変なことだと思います。その宣教のための力を与えるのが聖霊です。そして国内の地域の伝道を担っている私たちにも聖霊が与えられますから、伝道活動を続けることができます。そうしてキリスト教会は二千年間続いて来ました。教会の会堂も、この二千年間に世界中で数え切れないぐらい多くの会堂が建てられて、古くなれば新しくされて来ました。これもまた聖霊の力が与えられなければ決してできなかったことです。
 続いて『使徒の働き』2章ではペンテコステの日に、まずガリラヤ人の弟子たちであるペテロやヨハネたちに聖霊が注がれ、次いでエルサレムのユダヤ人たちにも聖霊が注がれました。どのような者たちに聖霊が注がれたかというと、「イエスを信じた」者たちに聖霊が注がれました。この、「イエスを信じた者たちに聖霊が注がれる」ということを、私はこの教会の説教では繰り返し説いていますが、他の教会の説教では、どのような者に聖霊が注がれるかは、ふだんそれほど言われないと思います。

ヨハネの福音書の深層部にある聖霊が注がれた出来事
 きょう、ここで使徒1章と2章を振り返っている機会に、改めてハッキリとさせておきたいと思いますが、私がイエスを信じた者たちに聖霊が注がれることを繰り返し説くのは、ヨハネの福音書がそのような描き方をしているからです。ヨハネの福音書では、「イエスを信じた」という表現を「聖霊が注がれた」と読み替えることで、深層部に「使徒の時代」があることが見えるようになっています。そのことの確認をしておきたいと思います。ヨハネ2章11節をご一緒に読みましょう。このヨハネ2章の前半には、ガリラヤのカナの婚礼において、イエスさまが水をぶどう酒に変えた奇跡のことが書かれています。

2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 このヨハネ2章11節に「弟子たちはイエスを信じた」とあります。この部分を「ガリラヤ人の弟子たちに聖霊が注がれた」と読み替えることで、婚礼の祝い事をペンテコステの日の恵みとして読むことができます。続いて、ヨハネ2章23節をご一緒に読みましょう。

2:23 イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。

 このヨハネ2:23の「御名を信じた」という部分を「聖霊が注がれた」と読み替えると、この箇所の深層部にはペンテコステの日にユダヤ人たちに聖霊が注がれた出来事があることがわかります。
 この機会に、サマリヤ人と異邦人に聖霊が注がれた箇所も見ておくことにしましょう。ヨハネ4章39節をご一緒に読みましょう。

4:39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。

 ここに「サマリヤ人のうち多くの者が・・・イエスを信じた」とありますから、これは「サマリヤ人たちに聖霊が注がれた」と読み替えることができます。
 もう一つ、異邦人に聖霊が注がれた箇所が深層部にあるのがヨハネ4章53節です。ご一緒に読みましょう。

4:53 それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

 この「父親」は46節にあるように「王室の役人」で異邦人と考えられますから、王室の役人と彼の家の者が信じたと書いてある箇所は、『使徒の働き』10章で異邦人のコルネリオとその家族や知人たちに聖霊が注がれた出来事に読み替えることができます。
 以上、見て来たように、ヨハネの福音書の前半部分では、「イエスを信じた」と書いてあれば「聖霊が注がれた」と読み替えることができるという法則があります。それゆえ、イエスを信じれば、聖霊が注がれます。

「イエスを信じる」とはどういうことか
 では、「イエスを信じた」とはイエスの何を信じたのでしょうか。それは、「イエスが神の子キリストである」と信じたことであることが、ヨハネ20章31節をご一緒に読みましょう。

20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

 このように、「イエスを信じる」とは、「イエスが神の子キリストであることを信じる」ということです。
 『使徒の働き』のおさらいに戻ります。ペンテコステの日にガリラヤ人の弟子たちとエルサレムのユダヤ人たちに聖霊が注がれたことによってキリスト教会が誕生して、以降、教会は急速に成長して行きました。そして、弟子たちの数が非常に増えたことでトラブルが発生するようにもなりました。このトラブルのことが、使徒6章の始めのほうに書かれています。それで教会では奉仕者を増やすことにしました。その新たに選ばれた奉仕者たち7人の中に6章5節にあるように、ステパノとピリポとがいました。
 さてしかし、このステパノに対する迫害が7章で起きたことで、エルサレムの教会員たちは迫害を逃れてエルサレムの外に散らされることになりました。その散らされた先のサマリヤでピリポがサマリヤ人たちにイエス・キリストを宣べ伝えたことが8章に書かれています。昨年の『使徒の働き』の学びでは、この使徒8章前半のピリポによるサマリヤ伝道の箇所までをご一緒に学びました。
 今年、この『使徒の働き』の学びを再開するに当たっては、使徒8章の後半からにしようかとも思いました。ここにはピリポがエチオピヤ人の宦官にイザヤ書について教えて水のバプテスマを授けた記事があります。しかし、2017年の『使徒の働き』の学びのスタートには、サウロがイエス・キリストと出会った場面から始めるほうが、新しい年の学びにふさわしいと思いましたから、エチオピヤ人の宦官の場面はスキップすることにしました。
 今回、なぜ私がサウロの場面から始めることにこだわったかと言うと、昨年『使徒の働き』の学びを始めた時に、『使徒の働き』の学びが終わるのは2017年の終わり頃になりますから、その頃には新しい礼拝堂でその学びができると良いですね、ということを皆さんに何度か話したからです。『使徒の働き』のおしまいのほうには専らパウロのことが書かれていますから、2017年の『使徒の働き』の学びも、パウロで始めたいと思ったのです。
 特に、この『使徒の働き』9章のサウロがイエス・キリストと出会った場面からは、先ほども言及した「イエスを信じる」とはどういうことか、についてとても大切なことが学べますから、非常に重要な箇所だと私は考えています。『使徒の働き』はどの箇所も重要ですが、私は使徒9章は格別に重要であると思っています。というのはこれは私事ですが、私がイエスを信じたことと、密接に関連しているからです。きょうの後半は、この私事の証しを交えて「イエスを信じる」とはどういうことかについて、さらにご一緒に考えてみたいと思います。

クリスチャンとノンクリスチャンの境い目
 皆さんのお一人お一人は、いつどのようにしてイエス・キリストを信じてクリスチャンになったでしょうか。誰でも生まれたばかりの時はイエス・キリストを知りませんから、ある時を境にしてイエスさまを知り、イエスさまを信じてクリスチャンになります。



 きょうの週報のp.3にある写真は、きょうの説教とどう関係があるだろうかと不思議に思っていた方もいるだろうと思います。これは本州の山口県の下関と九州の福岡県の門司との間にある関門海峡の下にある、人が歩くことができる人道トンネルの写真です。
 例え話ですから本州の山口県でも九州の福岡県でもどちらでも良いのですが、たとえば山口県の地上の陸地にいる人をクリスチャンではないノンクリスチャン、福岡県の地上の陸地にいる人をクリスチャンとします。陸地にいれば、本州にいるか九州にいるか、その区別は明白です。これは、まだ一度も教会に行ったことがないノンクリスチャンと、教会に何年も通っていて良い信仰の証しを持っているクリスチャンとの違いに例えられます。
 さてしかし、本州と九州の間には関門海峡という海がありますから、この海の区間にいる間は、本州と九州のどちらの側にいるのでしょうか。海の上にいる限り、あまりハッキリとはしないですね。でも海の下の人道トンネルには、明確に白線が引いてあって、本州の山口県と九州の福岡県の境がハッキリしています。
 私はクリスチャンであるかないかも、私自身の経験に照らして、このような白線があると感じています。教会に一度も行ったことが無かった人が教会に通うようになり、やがてクリスチャンになる時、どこでクリスチャンになるのか、写真のような白線を越える時があるのだと思います。救いの証しなどを聞くと、伝道会やCSのキャンプで救われたという証しをよく聞きます。確かにそういうケースは多いのだろうと思いますが、もう少し厳密に考えると、その伝道会やCSキャンプの間でも、もっと細かく白線をまたいだ瞬間があるのではないかなと思います。お一人お一人で、その細かい瞬間の検証を為さることは非常に有意義であろうと思います。なぜなら、そのことによってイエスが神の子キリストであると信じるとはどういうことかが、自分の中でより明確になるからです。この白線の部分が曖昧なままだと、いつか教会から離れて行ってしまうことにもなります。

罪を理解できなかったのに救われた私
 ここで私自身の経験の証しをさせていただきます。多くの皆さんの場合には自らの罪深さを示されて、その罪を赦して救うためにイエスさまが十字架に掛かって下さったとわかり、それがイエスさまが救い主、すなわちキリストであると信じたことになる、という道筋で救いに至ったことと思います。
 しかし私の場合は罪のことがわかったのが、もっとずっと後で、神学院に入ってからでした。神学院に入って罪が分かった時には洗礼を受けてから7年以上が経っていました。神学院に入った時、まわりの神学生たちは皆、罪のことがわかっているようなのに自分はわかっていなかったので非常に悩みました。しかし罪のことがわかっていなくても自分が救われている確信は持っていました。私は2001年の8月12日から高津教会に通い始めて、同じ年の2001年の12月23日のクリスマス礼拝で洗礼を受けました。この洗礼を受けた時には、既に救われていたことは確実です。この時、すでに私は大きな平安を得ていたからです。この平安は聖霊によってもたらされていたはずです。では私はこの2001年のどの段階でイエスさまを信じて聖霊を受けたのでしょうか。このことは私は罪がわかるようになってからも、しばらくの間は謎でした。それは、私が神学生になってからもしばらくはイエスさまにそれほど親しみを感じていなかったからです。私がイエスさまに深い親しみを感じるようになったのは、ヨハネの福音書を深く読み込むようになってからのことでした。こんな風に、罪のこともわからず、イエスさまにそれほど親しみを感じていなかった私が、なぜ救われたのでしょうか。
 そのことがわかったのは、きょうお話しした、ヨハネの福音書の表層部と深層部の構造がわかって、「イエスを信じた」を「聖霊が注がれた」と読み替えることができるとわかるようになってからでした。
 私が初めて高津教会を訪れた2001年の8月12日は、藤本満先生による『ガラテヤ人への手紙』の講解説教の第1日目であったことは、もう何度も皆さんに証ししていますね。この説教に興味を持った私は翌週の8月19日も高津教会を訪れて説教を聞きました。その日に、この『使徒の働き』の9章が開かれました。なぜならガラテヤ書の最初のほうには、パウロがイエス・キリストと出会ったことが書かれているからです。それで、ガラテヤ書のこの箇所から使徒9章を見ることになったのでした。

イエス・キリストに出会ったパウロの記事を信じた私
 使徒9章でサウロ(後のパウロ)がイエス・キリストと出会った場面の3節から5節までを交代で読みましょう。

9:3 ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
9:4 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。
9:5 彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

 そうしてサウロは目が見えなくなってしまいましたが、アナニヤがサウロの所に出掛けて行ってサウロの上に手を置いて、言いました。

「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」(使徒9:17)

 するとただちに、サウロの目からウロコのような物が落ちて、目が見えるようになりました。聖書にこのように書いてあることを聞いた2001年の私は、特に疑うこともなく素直に、このことを単純に信じました。パウロがまだサウロだった時に復活したイエスさまに出会ったということを信じました。つまり私はパウロの証しを素直に信じてイエス・キリストの復活を信じ、それがイエスが神の子キリストであるということを信じたことになったのだと思います。さきほども言いましたが、私は神学院に入ってヨハネの福音書を深く読むようになるまではイエスさまにあまり親しみを感じていませんでした。それはマタイ・マルコ・ルカの福音書に描かれている人間としてのイエスさまにあまり親しみを感じていなかったということです。ですから、2001年の私は福音書の記事からイエスさまが神の子キリストであると信じたわけではありません。2001年の私は、ガラテヤ書とこの使徒9章に書かれているサウロの経験を通してイエスさまが神の子キリストと信じました。
 しかしそれにしても、この日はまだ私が高津教会に行き始めてからわずか2回目ですから、そんなにも簡単に「イエスを信じた」と認定されるものだろうかという疑問も湧きます。でも、私は「イエスを信じる時」というのは、そういうものだろうと思います。
 多くの皆さんが救われた道筋、すなわち自分の罪を示されて心を刺され、この罪からイエスさまが十字架に掛かって救い出して下さったことを信じて「イエスが神の子キリストである」と信じたことも一つの救いの道筋ですが、私のような救われ方も一つの道筋です。私のケースはあまりに簡単すぎるかもしれませんが、ヨハネ4章のサマリヤ人たちも女の話を聞いただけでイエスさまを信じたのですから、私も同じだと言えるでしょう。サマリヤ人たちは女の話を信じてイエスさまを信じ、私は使徒9章のサウロが復活したイエスさまに出会った記事を信じてイエスさまを信じました。
 これが、私がクリスチャンであるかないかの白線を明確に越えた瞬間だと言えると思います。この白線を一人一人が自分の中で明確にしておくことは非常に大切なことだと思います。先ほども言いましたが、この白線を知ることで、イエスが神の子キリストであると信じるとはどういうことかについて、自分の中でより明白になるからです。

おわりに
 こうしてイエスさまを神の子キリストと信じて聖霊が注がれると心の平安が与えられて恵みの中を生きることができます。この境い目の白線が自分の中で明確でなく、海峡の海の中を行ったり来たりしている間は、まだしっかりと陸地に立っていませんから、なかなか平安が得られないだろうと思います。
 まずは私たちがイエスさまが神の子キリストであると信じることによって与えられる素晴らしい恵みをしっかりと味わい、そしてこの恵みを地域の多くの方々と分かち合えるようになりたいと思います。
 最後に、ヨハネの福音書20章の30節と31節を交代で読んで終わりたいと思います。

20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

 お祈りいたしましょう。
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