goo blog サービス終了のお知らせ 

一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

【天動説→地動説】で父・子・聖霊を知って「平和」の恩恵を受ける

2023-05-01 09:09:25 | 平和への道
 この一ヶ月に「平和への道」で書いたことをまとめる(図も改良する)。



 天体の見方の【天動説】から【地動説】への移行でニュートン力学が誕生したことで、人類は「科学技術」の多大な恩恵を受けて来た。同様に、聖書の読み方も【天動説】から【地動説】への移行を果たすなら、「平和」の多大な恩恵を受けるようになるだろう。なぜなら【地動説】で聖書を読めば父・子・聖霊の三位一体の神のことが分かるようになり、神との関係が深まり、心の深い平安を得るようになるからだ。

 聖書は世界で一番多くの読者がいる書物だ。それゆえ読者の多くが聖書を【地動説】で読むようになり、心の深い平安を得るなら、世界は必ず平和になるだろう。戦争が絶えず繰り返されていて、世界がなかなか「平和」にならないのは、聖書の読み方が【天動説】に留まっているからではないか。

 【天動説】では、宇宙を見る「目」が「地上」にある。すると、天体の動きは非常に複雑であるので全体像を捉え損なう。それは「目」が「時計」の中にあるのと同じことだ。目が時計の中に留まっているなら、時計全体の動きが見えない。歯車がどのように噛み合って時計全体が動いているのかを知りたければ、「目」を時計の外に移す必要がある。天体も時計も、このように全体を俯瞰する位置に「目」があるのが【地動説】だ。

 聖書も、ことばの歯車がたくさん噛み合っている時計のようなものだ。一つ一つのことばに近づき過ぎると、全体が見えなくなる。

 たとえばイエスのことばは、一言一言が重い。それゆえ、つい近づき過ぎてしまう。イエスに近づくことは良いことだが、ことばに近づき過ぎると全体が見えなくなってしまう。その代表例が、ヨハネの福音書をマタイ・マルコ・ルカ的に読んでしまうことだろう。ヨハネの福音書の冒頭のことばの歯車

ヨハネ1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。

これは創世記の冒頭のことばの歯車と噛み合っている。

創世記1:1 はじめに神が天と地を創造された。
2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。

 ヨハネの福音書全体、そして聖書全体を俯瞰するなら、「光、あれ」のことばは天の御子イエスのことばであることが分かる。また、旧約の預言者たちの時代には天の御子イエスが聖霊を通して父のことばを預言者たちに伝えていること、新約の使徒たちの時代には天の御子イエスが聖霊を通して父のことばを弟子たちに伝えていることが分かる。たとえばヨハネ4章の

ヨハネ4:1 パリサイ人たちは、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている、と伝え聞いた。それを知るとイエスは、
2 ──バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが──
3 ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた。
4 しかし、サマリアを通って行かなければならなかった。

の2節「──バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが──」は、ここで注目しているのは「地上のイエス」ではなく使徒の時代の「天の御子イエス」であることを伝えている。弟子たちは聖霊を受けていたので、彼らの内にはイエスがいたのだ。

 そして、ステパノが殺された後の激しい迫害で弟子たちがエルサレムから散らされた。

使徒8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。
4 散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。
5 ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。

 ここではヨハネ4章のことばの歯車と使徒8章のことばの歯車が噛み合っていて、サマリアでキリストを宣べ伝えたピリポの内には天の御子イエスがいたことをヨハネ4章は伝えている。つまりヨハネ4:4でサマリアを通って行ったのはイエスご自身ではなく、ピリポであった。ヨハネの福音書を【地動説】で読むなら、時代は「紀元30年頃」ではなく、それ以外の「創世記~黙示録」であり、主役は「地上のイエス」ではなく、「天の父」と「天の御子」である。

 ヨハネの福音書で「地上のイエス」のすぐ近くに「目」を置く読み方は【天動説】だ。一方で【地動説】は、聖書全体を俯瞰する位置に「目」を置く。そこは天であり、天に「目」があるなら創世記~黙示録のすべての時代(イエスの地上時代を除く)にいる父・子・聖霊の三位一体の神がよく分かるようになる。神が分かることで心の深い平安が得られ、平安を得た読者が増えれば増えるほど世界は平和に向かって行くだろう。この「平和」こそが、聖書の読み方の【天動説】から【地動説】への移行によって受ける多大な恩恵だ。

 【地動説】に基づくニュートン力学が人類に「科学技術」の多大な恩恵をもたらしたように、聖書の読み方も【地動説】に移行するなら、人類は「平和」の多大な恩恵を受けるようになるであろう。(つづく)
コメント    この記事についてブログを書く
« 信仰のメカニズムが透けて見... | トップ | 原爆資料館の「平和のキャラ... »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

平和への道」カテゴリの最新記事