平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

ナタナエルは、神と格闘するヤコブ

2023-04-20 08:27:35 | 平和への道
 ヨハネの福音書の主役は天の御父と御子だ。しかし、読者の多くが「ヨハネはマタイ・マルコ・ルカと同様にイエスの地上生涯を描いた」という強固な思い込みに縛られているために、この書の奥義が伝わっていない。この強固な殻を打ち破るためには、マタイ・マルコ・ルカとは異なる点の証拠を地道に示して行くしかないのだろう。

 まだ説明していない中で比較的分かりやすいのは、ヨハネ1章のナタナエルの記事であろう(本ブログでは何度も説明しているが、「平和への道」のシリーズではまだ説明していない)。

ヨハネ1:47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた。「見なさい。まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません。」

 マタイ・マルコ・ルカ的な思い込みから自由になるなら、この場面からは創世記32章のヤコブが神と格闘している姿が見えて来るだろう。

創世記32:24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」

 かつてヤコブは、自分の名を偽って「エサウです」と父のイサクに言った(創世記27:32)。しかし、神と格闘したヤコブは名前を偽らずに「ヤコブです」と答えた。このことでヤコブはイスラエルという新しい名前が与えられた。ヨハネ1:47は、この場面を表している。



 ヨハネもマタイ・マルコ・ルカと同様に「地上生涯のイエス」を描いたという思い込みに縛られているなら、「ルビンの壺」の「壺」の部分しか見えず、そこにいるのはナタナエルと会話をする紀元30年頃の地上のイエスだろう。しかし、この思い込みから解放されるなら、「壺」を囲む永遠の中の「天の御父と御子」が見えて来て、ヤコブと格闘する神が見えて来るであろう。(つづく)
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