平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

5:2-9(ヨハネの福音書注解)十字架の年は「紀元33年」

2017-11-25 22:08:36 | ヨハネの福音書注解
ヨハネ5:2-9 十字架の年は「紀元33年」

2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。3 その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。(ヨハネ5:2-9)


 このベテスダの池の病人が癒された記事が、旧約聖書または使徒の働きとどのように重なるのかを見出すことは他の箇所に比べると難しい。ここで鍵となるのは「三十八年」という数字であろう。これがもし「四十年」という丸めた数字であったなら鍵にはなりにくいだろう。しかし「三十八年」という半端な数字であることから、ここには重要な意味が秘められている匂いがする。
 そうして私がたどり着いた結論は、この箇所の背後の時代は「使徒の時代」であり、この病人はモーセの律法に縛られていた人々に重ねられているということだ。イエスの十字架の年からは、「イエスは神の子キリスト」と信じる者は誰でも聖霊を受けて救われるようになった。しかし、古い考えに縛られていたユダヤ人クリスチャンの中には、異邦人クリスチャンもモーセの律法を守らなければ救われないと考える者が少なくなかった。そして、特にガラテヤ人などはそのような考えに惑わされていた。同様にベテスダの池の病人も、池に入らなければ病気が癒されないと思い込んでいた。それゆえイエスが「よくなりたいか」と聞いた時も単純に「よくなりたいです」と答えないで、見当外れの受け答えをしていた。
 さてクリスチャンであってもモーセの律法を守らなければならないと考えていた人々は当然のことながらエルサレムの神殿での礼拝も欠かせないと考えていただろう。しかしエルサレムの神殿は紀元70年にローマ軍の攻撃によって焼失してしまい、もはやここで礼拝を捧げることができなくなった。この時にモーセの律法の縛りから解き放たれたクリスチャンも多かったのではないだろうか。イエスが十字架に掛かったのが紀元33年だとすると、彼らは38年間、モーセの律法に縛られていたことになる。
 イエスの十字架の年は紀元30年または33年というのが有力であるが、ヨハネ5章のベデスダの池の病人の記事は十字架の年が紀元33年であったことを示していると言えよう。
コメント    この記事についてブログを書く
« 5:1(ヨハネの福音書注解)イ... | トップ | パウロとエペソ教会(2017.11... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ヨハネの福音書注解」カテゴリの最新記事