徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

成道寺へ行ってみた

2016-11-16 18:58:07 | 熊本
 紅葉にはちょっと早いと思ったが、成道寺の現況を見に行った。子供の頃に見た、この寺の美しい庭園を憶えているだけに、年々荒れていく様子に心を痛めている。毎年、ここを訪れるとご住職と話し込むのだが、今日も30分ほど話をした。どうも、今さら手を入れる気はなさそうだ。本当は庭園はクローズしたいくらいだが、市なども紅葉の名所としてPRしているので今さらやめられないとのこと。室町時代から590年の歴史を有する古刹がこのまま廃れていくのはしのびない。



外観を見ても維持管理が行われていないことが一目瞭然


母が幼稚園勤務の頃、研修会場として使っていたという本堂も雨戸が閉められたまま


かつて綺麗に整備されていた遊歩道も今はない


環境省選定の平成の名水百選にも選ばれた湧水は、今日もこんこんと流れ出す


熊本西環状道路のバイパス工事が進んでおり、あたりの景観は一変した



柳川から柳川へ帰る人

2016-11-15 20:18:13 | 文芸
 今年の3月頃だったか、わが家の近くを歩いていると、スクーターにまたがったオジサンが近づいてきて、「柳川に帰るにはどう行ったらいいですか?」と。かなり年季が入ってそうなスクーターを見ながら「エ!これで?」と言うと、「そうです!」とおっしゃる。3号線は危ないなと思い、208号線に抜ける県道を教えた。礼を言って去って行くオジサンを見ながら、ふと、ここも柳川だったことを思い出し、あのオジサンに教えてやればよかったなと・・・。
 実はわが家のあたりはその昔、柳川丁と呼ばれていた。加藤清正公が、関ヶ原の戦で西軍について敗れた柳河立花藩の家臣団を預かって住まわせたので柳川小路と呼ばれるようになり、明治以降、柳川丁と呼ばれるようになった。今ではわずかにバス停「京町柳川」にその名残りを残すのみとなったが、この町で生まれ、小さい頃から祖母や父から「柳川丁」と聞き馴染んでいた僕にとっては、福岡県の柳川にもとても親しみを感じる。


熊本市京町2丁目には柳川丁の記念プレートが


水郷柳川名物川下り


北原白秋生家のサゲモン




 柳川と言えば北原白秋。白秋の詩集「思ひ出」には、少年時代を過ごした水郷柳川を、廃市(廃れた町)と言い、街を掘り巡らした水路やたった一つ残った遊女屋懐月楼や古い白壁など、故郷の水郷の町の廃れゆく姿とそこで暮らす人々の哀感を、愛情を込めた眼差しで描き出している。
 花童が踊る「水辺立秋」は、この詩集の中から「柳河」、「立秋」、「水路」などをモチーフとして、白秋の詩の世界を表現している。白秋の詩集を読んだ上でこの「水辺立秋」を聴くといっそう味わい深い。


小津安二郎から本居宣長 そして帆足長秋・京

2016-11-14 21:43:55 | 歴史
 今夜の「鶴瓶の家族に乾杯」(NHK総合)はゲストに俳優の佐野史郎を迎え、小津安二郎監督に憧れる佐野が希望した小津監督ゆかりの三重県松阪市を訪ねた。
 小津監督は東京生まれだが青春時代を松阪で過ごしたという。小津家は松阪の豪商の後裔。実は小津家の一族には江戸時代の国文学者で「古事記伝」で知られる本居宣長(もとおりのりなが)がいる。

 4年ほど前、八千代座交流施設で行われた「古事記伝写本 特別公開」を観たことがある。
 今から1300年前に書かれ、日本最古の歴史書と言われる「古事記」は、江戸時代後期、本居宣長が執筆した「古事記伝」によって注釈が加えられ、以後、今日まで古代史研究の基礎となっている。その本居宣長の原本は現在一部しか残っていないが、その写本が唯一全巻残っているのが、山鹿で神職を務めていた帆足長秋(ほあしちょうしゅう)とその娘・京(みさと)が書写した写本である。京は幼少より聡明な娘で、父の教えを受けて国学に関心を抱き、詩歌や書道を嗜んだ。15歳の時、父母に伴われて山鹿から約80日に及ぶ長旅の末に松阪の本居宣長を訪ね、松阪に約80日間滞在、「古事記伝」を書き写した。その聡明さと達筆に宣長も舌を巻いたと伝えられる。


帆足長秋とその娘みさと(山鹿市立博物館)

泰勝寺の秋

2016-11-13 18:44:23 | 熊本
 泰勝寺跡(立田自然公園)には春夏秋冬必ず訪れている。熊本地震以来、四つ御廟など、園内のごく一部しか公開されていないが、そろそろ紅葉も始まった頃かと訪れてみた。まだ紅葉の見ごろには2、3週間早いようだ。
 園内を歩き回りながら、今からちょうど100年ほど前、泰勝寺に毎日伺候していた幼い父が、ある日、赤く熟した柿の実をちぎろうと樹の上に登り、長岡家のあらしこに睨まれてすごすごと降りてくる様子を思い浮かべていた。


今日は細川邸で茶会が開かれていた


池の周囲も紅葉が始まっており、熱心に水彩画を描いているご婦人の姿も


細川邸内の木々も紅葉が


四つ御廟。正面が肥後細川家初代幽斎公の御廟


ガラシャ夫人の御廟と愛用のつくばい

肥後のちんこ芝居(少女歌舞伎)のはなし。

2016-11-12 14:04:53 | 音楽芸能
 今年の1月に、肥後の「ちんこ芝居」は阿国歌舞伎が起源!?という記事をアップした。
 これは明治42年に出版された鈴木天眼著「清正公」という加藤清正の伝記のなかに

肥後は細川氏時代より現代に至る迄 チンコ芝居《少女歌舞伎》の名産地なり 其淵源は恐らく清正公當時 阿國招聘に歸せむ・・・

 という記述があることを紹介するものだったのだが、細川時代から盛んだったという肥後のちんこ芝居(少女歌舞伎)の一例を示す文献を見出したので紹介しておきたい。これは、2010年6月1日発行の「広報やまが」(山鹿市の広報)に掲載されたもので、八千代座100周年を記念する連載記事の一つ。この記事を書いた前山鹿市立博物館館長の木村理郎さんという方は、民俗学研究家で放送作家でもあった木村祐章さんのご子息。僕は昨年、木村祐章さん作のラジオドラマ「ぬれわらじ」の脚本を探し出していただいたり、ご意見をいただいたりとお世話になったばかり。
 熊本における伝統文化の歴史がまたひとつ繋がったようでとても嬉しい。




 今日、活躍目覚ましい舞踊団花童はまさに、この肥後の伝統を受け継ぐ代表的な芸能集団の一つ。
 9月に熊本で上演された舞台劇「アイラブくまもと 漱石の四年三ヶ月」は、来月、12月17日にはいよいよ東京で上演される。そして、その一場面で、花童のあかねとゆりあが演じるのが、まさにこの少女歌舞伎なのである。


2015年2月14日 八千代座における花童あかね&花童ゆりあによる「越後獅子」

本妙寺はいま?

2016-11-11 18:39:29 | 熊本
 肥後銀行本店のギャラリーで開催されている、本妙寺展「加藤清正と本妙寺」を見に行く。興味深い史料が数多く展示されているが、見ながらどうしても気にかかるのは本妙寺の今の状態。ついでに本妙寺まで足を伸ばしてみた。



▼仁王門
 遠目にはわからないが、門柱に亀裂が入り、全体が傾いているため立入禁止となっている。改修の見通しも立っていないようだ。



▼胸突雁木
 参道の横道から入れば浄池廟まで登れるが、胸突雁木の石灯籠群はご覧のとおりの惨状。



 その他、参道沿いの石垣や塔頭の石塔、墓地の墓石などの倒壊が酷い。
 来年の頓写会はなんとか、下の写真のような風景(2015年)が再び見られることを祈るばかりだ。

▼仁王門前の賑わい


▼胸突雁木の賑わい

~長谷検校記念~ 第22回くまもと全国邦楽コンクール

2016-11-10 15:22:14 | 
 熊本地震のため延期されていた「くまもと大邦楽祭2016」が下記のとおり実施されます。

◆くまもと大邦楽祭 2016
 ~長谷検校記念~ 第22回くまもと全国邦楽コンクール
《コンクール本選》
【実施日】平成28年11月25日(金)
     コンクール本選  10:30~12:30
     ゲスト演奏    12:40~13:20
     結果発表・表彰式 13:30〜
【会 場】熊本市植木文化ホール/入場無料
【出場者】

 5年前の第17回くまもと全国邦楽コンクールを僕は初めて見に行った。始まってすぐに僕の大きな認識違いに気がついた。イベント名に「くまもと」が付いていたので、地元の腕自慢の和楽演奏家たちが集まって全国大会の地区予選でもやるのかな、くらいの認識だった。とんでもなかった。日本の邦楽界で既に第一線で活躍している人も全国各地から参加してくる凄いレベルの大会だったのだ。参加者の力量の高さは素人の僕にでもよ~くわかった。長谷検校(ながたにけんぎょう)さえよく知らなかった自分の不勉強が恥ずかしかった。
 この大会では「箏曲の部」の佐藤亜美さん(上の写真)が最優秀賞に選ばれた。初めて見たこの大会の最優秀賞ということで印象深く、その後の彼女の活躍には注目しているが、演奏会や後進の指導など幅広い音楽活動を展開しているようで、最近では本條秀太郎さんの公演に呼ばれたり、またつい先日、NHK-Eテレの「にっぽんの芸能」で放送された歌舞伎の花形役者たちも出演した藤間勘十郎さんの舞台「白蛇盗仙草」にも、筝演奏者として参加していた。

紅葉狩 おすすめポイント

2016-11-09 20:03:15 | 熊本
 熊本市周辺も紅葉の見ごろが近づいてきました。そこでおすすめの紅葉狩ポイントをご紹介します。

◆旧細川刑部邸
 ここは門前の大銀杏と邸内の木々の紅葉が見ものです。ただ、熊本地震のため、現在、邸内には入れなくなっており、今年は外側から覗き見ることしかできないかもしれません。




◆味取観音瑞泉寺
 種田山頭火ゆかりの瑞泉寺では毎年、「種田山頭火と味取観音瑞泉寺紅葉まつり」が行われます。今年は11月27日(日)です。当日は、出店や野点なども行われます。




◆成道寺
 590年の歴史を誇る古刹・成道寺は夏目漱石ら文人も訪れたという紅葉の名所。近年、境内がやや荒れてきたのが気になりますが、紅葉は今でも絶景です。
 

かにかくに祭と吉井勇

2016-11-08 19:35:09 | 文芸
 竹中邦彦さんのFacebookに、今日、11月8日は、京都祇園で「かにかくに祭」が行われると紹介されていた。「かにかくに祭」とは祇園を愛した大正・昭和期の歌人・吉井勇をしのび、京都市東山区の白川沿いに建てられた彼の歌碑の前で毎年行なわれる行事。今年も祇園甲部の芸舞妓4人が花を手向け、手を合わせたという。
 吉井勇といえば、僕にとっては「五足の靴」のメンバーの一人という認識が強い。「五足の靴」というのは、明治40年(1907)7月下旬から8月末の間、歌人与謝野寛(鉄幹)が、まだ学生だった木下杢太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を引き連れ、九州を中心に各地を旅した時の紀行文である。天草・島原を巡った後、8月12日には5人が、上熊本駅に降り立ち、15日まで熊本市内や阿蘇などを巡っているが、その間、多くの歌をものしている。
 天草の大江には「白秋とともに泊りし天草の大江の宿は伴天連の宿」という吉井の歌碑が建てられているし、阿蘇の大観峰にも「大阿蘇の山の煙はおもしろし空にのぼりて夏雲となる」、阿蘇市の中央公園には「白秋もわれもしととに濡れにけり山荒るる日の阿蘇のよな雨」の歌碑が建てられている。
※右の写真は、前列左が平野万里、右が吉井勇、後の左が与謝野寛、右が木下杢太郎、立っているのが北原白秋

 吉井は晩年、京都の北白川周辺に住み、祇園に足繁く通い、「都をどり」の発展にも尽力した。「かにかくに」というのは彼の歌「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」から付けられたもので、「何かにつけて祇園は恋しいところ。寝る時も枕の下を流れる川のせせらぎにゆかしい風情が感じられる。」というような意味だそうである。

▼2014年度かにかくに祭の模様



▼2015年度都をどり


 また、吉井は「いのち短し恋せよおとめ」の歌詞で知られる「ゴンドラの唄」の作詞者としても有名。

本條秀美会 ~民謡「唄と三味線の会」30周年記念大会~

2016-11-07 18:09:31 | 音楽芸能
 9月22日に、このブログで一度紹介しました標記公演の再PRです。
 多くの皆様のお越しをお待ちしています!

 ※前回の記事(ご参照ください)

◆日 時 11月27日(日) 12:30開場  13:00開演
◆会 場 熊本市植木文化ホール
      熊本市北区植木町岩野238-1
      ℡ 096-272-6906


※クリック拡大してご覧ください!


 ※本條秀美さんの数々の名唱の中から次の三曲を選ばせていただきました!

【本條秀美名唱集】

◇本條流祝儀曲「松」



◇熊本民謡「キンニョムニョ」



◇相撲甚句

観能雑感 熊本城薪能「羽衣」を見ながら 

2016-11-06 20:24:21 | 音楽芸能
 この熊本城薪能が今年最後の観能になるだろう。今年は4月、熊本地震直前の健軍神社「花の薪能」に始まり、8月の水前寺成趣園「出水神社薪能」、9月の藤崎宮例大祭「段山御旅所奉納能」、そしてこの熊本城薪能と4回観ることができた。この数年、だいたい年に3、4回だが、熊本にいると神事能で能を楽しめるのがありがたい。
 さて、この熊本城薪能は肥後細川家の御流儀だった金春流と喜多流が一年おきに出演していて、今年は喜多流の番。昨年の「出水神社薪能」で金春流の「羽衣」を観たので、今回の喜多流の「羽衣」との違いに注目したのだが、技術的な違いは正直わからない。ただ、観終った後の印象はかなり違った。今回のシテ方・狩野了一の天女が飛翔しながら揚幕に消えて行った後、不思議な余韻が残った。
 この熊本城薪能は場所的に重文に近いという理由で火気厳禁のため、薪能とは言いながら、かがり火がなく、やや風情に欠けるのが残念。数年前に竹の丸でやっていた頃はかがり火を焚いていた記憶があるので腑に落ちない思いはあるのだが。
 今年は熊本地震の影響で、開催時期が11月にずれ込み、さらに数日前から冷え込みが強くなったこともあってとにかく寒かった。予想をして着込んで行ったのだが、観客の中には結構軽装の人もいて、寒い思いをされたと思う。来年はまた10月中旬前に戻してもらいたい。

※写真をクリックすると動画を再生します

◇地謡
 東遊の数々に。その名も月の色人は。三五夜中の空に又。満願真如の影となり。御願円満国土成就。七宝充満の宝を降らし。国土にこれを。ほどこし給ふさるほどに。時移つて。天の羽衣。浦風にたなびきたなびく。三保の松原、浮島が雲の。愛鷹山や富士の高嶺。かすかになりて。天つ御空の。霞にまぎれて。失せにけり。

熊本城薪能

2016-11-04 21:32:43 | 音楽芸能
【日時】11月4日(金)18:00~20:00
【場所】熊本城二の丸広場ステージ
【出演】喜多流

◇能 「羽衣」(シテ)狩野了一 (ワキ)飯冨雅介 (大鼓)白坂信行 (小鼓)飯冨章博
          (後見)橋本寛/衛藤光明
          (地謡)塩山良一/末武有二/狩野祐一/山下保昌/渡辺康喜/中村邦生/塩津哲生/大島輝久





◇仕舞「老松」石田大雅




◇仕舞「鞍馬天狗」宗村蒼辰



◇狂言「梟山伏」(山伏)山内理至 (男)服部和洋 (病人)東信彰


 
◇仕舞「八島」狩野祐一



≪能解説≫ 大島輝久


◇附祝言

種田山頭火と味取観音瑞泉寺紅葉まつり

2016-11-03 19:00:15 | イベント
 漂泊の俳人・種田山頭火が堂守を務めたことで知られる味取観音。 
 今年も「種田山頭火と味取観音瑞泉寺紅葉まつり」が下記のとおり行われます。
 当日は、出店の他、野点や写真撮影なども行われます。
 
【日 時】11月27日(日)10:30より
【場 所】味取観音瑞泉寺(熊本市北区植木町味取1)

 大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。

松はみな枝垂れて南無観世音

松風に明け暮れの鐘撞いて

ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる

(「草木塔」より)






泣ける歌 ~赤い屋根の家~

2016-11-02 21:45:32 | 音楽芸能
 KAB(熊本朝日放送)夕方の情報番組「くまパワ」では、お笑いコンビイタガキが、益城町復興応援ボランティアをするという企画がある。昨日の放送ではイタガキの二人が飯野小学校に出かけて、自作の紙芝居を生徒たちに読み聞かせをするという内容だった。その後、サプライズで生徒たちから二人への感謝のコーラスが贈られたのだが、この歌が童謡「赤い屋根の家」。聴きながらなぜか涙がとまらなかった。
 生まれ育った家を離れなければならない子どもたちも大勢いるはずだが、今まで家屋が全壊だ半壊だ、公的支援はどうだという大人目線でしか見ていなかった自分に、この歌は子どもたちの想いに気づかせてくれた。彼らは大人たちとは違う家への想いがあるに違いない。その気付きがこの歌に感動させたのだと思う。