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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

佐田の山の訃報

2017-05-01 19:45:05 | スポーツ一般

昭和40年1月、明治神宮において横綱昇進の奉納土俵入りをする横綱佐田の山(太刀持ち北の富士、露払い金乃花)

 元横綱佐田の山こと市川晋松さんが亡くなった。柏鵬時代のはざまに生きた異能力士とでもいったらいいだろうか。九州は長崎出身ということもあって若手の頃から注目していた。力士が大型化しつつあった時代、彼はけっして体格的には図抜けていたわけでもなく、相撲もひたすら突っ張りを繰り出す、ごくまともな取り口だった。彼が横綱に昇進した昭和40年(1965)1月、明治神宮で初の奉納土俵入りが行われた時、僕は大学1年で、明治神宮は電車通学の途中でもあったので見に行った。だから上の写真のどこかに僕も写っているはずだ。
 佐田の山には忘れられない思い出がある。彼は大関時代に親方である出羽海の娘と結婚して婿養子となっていた。だから引退後は出羽海部屋を継承することが決まっていた。これには、先代出羽海親方が生前、後継者に指名していた九重(元横綱千代の山)が不満を抱いており、独立を申し出た。分家独立不許という不文律があった出羽一門は、これを許すかわりに九重とその弟子北の富士らは破門となった。
 僕が大相撲に初めて興味を持った小学生の頃、相撲界を支えていたのは、人気横綱の千代の山だった。当り前のように千代の山のファンになった。熊本巡業も見に行った。だから、この九重独立騒動の時も、九重側に立って見ていたような覚えがある。
 そんなことを懐かしく思い出しながら、元横綱佐田の山の訃報を聞いていた。合掌


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