徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

肥後の俵積出し唄

2012-04-15 20:25:19 | 音楽芸能
 江戸時代から明治初期まで港町として栄えた高瀬町(現在の玉名市中心部)。旧藩時代、菊池川流域で獲れた米は年貢として平田舟で高瀬に集められた。いったん高瀬御蔵に収められた後、再び船着場から積み出され、菊池川河口で大きな五百石船に積み替えられ大坂へ運ばれた。「高瀬米」とよばれた上質な肥後米は、全国の基準米としてその年の米相場を左右したといわれる。高瀬港は、熊本藩で最大の蔵米積出し港で、取り扱われた米は25万俵にも達した年もあったという。しかし、江戸中期以降、河川の堆積などのため、高瀬は港としての機能を徐々に失い、3キロ下流の大浜がその役割を担うようになった。
 明治22年に町村制が施行された時、玉名郡の20町村の中で、町は高瀬町と大浜町のみだったという。僕らの子どもの頃、現在のJR玉名駅は高瀬駅と呼んでいた。


高瀬船着場の俵ころがし

▼この「俵積出し唄」は高瀬の船着場から米俵を積み出す情景を歌った民謡。

♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 御倉の米を
  黒船帆まえで 沖で積む
    サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
    ア サテ サイジョドンドーン 

♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 氏神さんは
  積み出す お米の守り神 
    サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
    ア サテ サイジョドンドーン 
   
♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 娘がほしや
  俵積み出す 若い衆が
    サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
    ア サテ サイジョドンドーン 
 



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