水前寺公園・玄宅寺における舞踊団花童の月例舞踊の会も今日が今年最後の会。花童のお蔭でずっと前から訪れてみたいと思っていたけれど、なかなかキッカケがなかった玄宅寺に何度も行くことが出来た。
そもそも玄宅寺を訪れてみたいと思ったのは、やはり森鴎外の短編小説「阿部一族」を読んでからである。「阿部一族」の中で細川忠利公の死去の際、殉死を願って許された18人の筆頭に寺本八左衛門直次の名が登場する。その名前が強く印象に残っていて、ある時、ネットの情報で寺本八左衛門の墓が玄宅寺にあることを知った。さらにブログで知り合ったS氏の奥様が寺本家の末裔であるという奇遇もあった。
しかし、舞踊団花童の舞踊の会がなければ、おそらく僕はまだ玄宅寺に行けてなかっただろう。それが、ほんの半年ばかりの間に何度も寺本八左衛門の墓に手を合わせることができたのは、必ずしも偶然とは言えないような気もする。それは、わが家の墓を改葬する前にあった古い墓の墓碑銘に、島原の乱に細川藩の一員として参戦し、戦死した先祖がいることが記されていたからである。
そもそも玄宅寺を訪れてみたいと思ったのは、やはり森鴎外の短編小説「阿部一族」を読んでからである。「阿部一族」の中で細川忠利公の死去の際、殉死を願って許された18人の筆頭に寺本八左衛門直次の名が登場する。その名前が強く印象に残っていて、ある時、ネットの情報で寺本八左衛門の墓が玄宅寺にあることを知った。さらにブログで知り合ったS氏の奥様が寺本家の末裔であるという奇遇もあった。
しかし、舞踊団花童の舞踊の会がなければ、おそらく僕はまだ玄宅寺に行けてなかっただろう。それが、ほんの半年ばかりの間に何度も寺本八左衛門の墓に手を合わせることができたのは、必ずしも偶然とは言えないような気もする。それは、わが家の墓を改葬する前にあった古い墓の墓碑銘に、島原の乱に細川藩の一員として参戦し、戦死した先祖がいることが記されていたからである。
来年も玄宅寺の舞踊会は継続して行われるようですので、来年もご案内申し上げます。
花童の子たちもまた一つ成長して、さらに質の高い踊りを見せてくれるものと期待しております。
どうかご家族お揃いでよいお年をお迎えください!
厚く御礼申し上げます。
4歳の可愛い子童の方や高校2年生までの童
の踊り一生懸命に踊っている姿が伝わってきました。
趣向を凝らしての踊りには感動しました。
来年も楽しみしております。