わが町、京町の歴史を調べているがなかでも気になるのが、明治時代初期、遊郭の街となった歴史。様々な資料の一つとしてとても参考になるのが、郷土史家・鈴木喬先生(2010年没)が「市史編さんだより」の中に書かれた「熊本の花街」シリーズ。
熊本市市制施行百周年記念事業の一つとして昭和63年から平成14年まで15年をかけた「新熊本市史」の編纂で、鈴木先生は民俗・文化財分野の編さん委員の一人であった。「市史編さんだより」とは編さんの経過を記録し、広く市民に進行状況を知らせるために発行されていたもの。
不定期ではあるが、今回から鈴木先生の記事を数回に分けて掲載したい。
熊本市市制施行百周年記念事業の一つとして昭和63年から平成14年まで15年をかけた「新熊本市史」の編纂で、鈴木先生は民俗・文化財分野の編さん委員の一人であった。「市史編さんだより」とは編さんの経過を記録し、広く市民に進行状況を知らせるために発行されていたもの。
不定期ではあるが、今回から鈴木先生の記事を数回に分けて掲載したい。
調べ物をしていて検索すると、よくこちらのブログと津々堂さんのブログに行き当たります。最近は、検索せずに日々読ませていただいてます。
年末か年明けに、たまたま「市史編さんだより」を取り出して読んだばかりでした。この「市史編さんだより」は、読み応えがあっていいですね。
可憐少女の墓も行ってみたくなり、この間行ったばかりです。
過去の分も含めこれからも読ませていただきます。
妙栄寺に行かれましたか!
何年か前に行った時は、聖林院と桜間伴馬のお墓にはお参りしたのですが、その時は可憐少女のことはまだ知りませんでしたのでまだお参りしていません。近々行ってみたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
今回、可憐少女の事を知り、墓地を探して回りました。その過程で桜間左陣の墓の標柱を見て、数時間前に博物館の「能楽伝承」を観て知ったばかりの人のお墓だったので偶然に驚きました。奥の高い所に津田静一、表の道路に近い所に鳩野宗巴と遭遇したものの可憐少女が見つからず諦めて帰りかかりました。
そうしたら、墓地の入口の清正公母堂の墓の標柱を挟んだ所にありました。聖林院のお墓に気を取られ、気づかず通り過ぎてました。新しいお花も供えられ、大事にされているようでした。
妙永寺の先の六角堂観世音本覚寺に清正公側室(本覚院)の御廟所があるのも、可憐少女の墓を探してうろうろしていて気づきました。
今後ともよろしくお願いします。
おそらくまだ気付いていない名のある人のお墓があるのでしょうね。
鳩野宗巴は立田山西麓の拜聖院跡の胸像はよく見るんですが、お墓は妙永寺にあるんですね。津田静一も名前を知っているだけでお墓は知りませんでした。ありがとうございました。