徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

谷汲観音のはなし。

2017-11-14 21:57:12 | ニュース
 先日、姉が高平の浄国寺近くのバス停で、栃木県からやってきたという若い女性と一緒になったそうだ。その女性は浄国寺の、松本喜三郎作の生人形「谷汲観音」を見に来たのだという。わざわざ栃木県あたりからも見に来る方がいるのかとちょっとビックリ。
 そういえば、昨年、地震の影響がなかったかどうか確かめに浄国寺へ行ってからやがて1年。年内にまた拝観しに行くとしよう。

 そもそもこの生人形「谷汲観音」は、熊本市迎町出身の人形師松本喜三郎が、維新後の明治4年(1871)から明治8年(1875)にかけて、浅草の奥山で興行し、大成功をおさめた「西国三十三所観音霊験記」の中の生人形の一つ。喜三郎にとって最も愛着が強い作品だったようだが、上野の西郷隆盛像などの彫刻で知られる高村光雲は、「光雲懐古談」の中で、谷汲観音について次のように述べている。

 三十三番の美濃の谷汲観音、これは最後のキリ舞台で、中で一番大きい舞台、背景は遠山ですべて田道の有様を写し、ここに大倉信満という人(奥州の金商人)が驚いている。その後に厨子があって、厨子の中より観音が抜け出した心持で、ここへ観音がせり出します。この観音が人形の観音でなく、また本尊として礼拝するという観音でもなく、ちょうどその間を行った誠に結構な出来で、頭に塗傘を冠り右の手に塗杖を持ち左の手にある方を指している図で、袈裟と衣は紗の如き薄物へ金の模様を施し、天冠を頂き衣は透きとおって肉体が見え、何とも見事なもので、尤もこれはキリの舞台にて喜三郎も非常に注意の作と思われます。


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