徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

葛飾応為をめぐる人々

2017-09-21 17:38:22 | テレビ
 先般放送された特集ドラマ「眩(くらら)~北斎の娘~」は朝井まかての原作は未読だが、登場する人物たちが興味深く調べてみた。なかでも渓斎英泉と所帯をもつ女として登場するお瀧という人物が気になった。お栄が英泉に連れてゆかれた妓楼にお瀧がいて、英泉の三人の妹たちが芸妓として働いている。英泉が三人の妹を苦労して育てたことはいろんな文献に出てくるので、三人が芸妓になったかどうかは別にして実在したのだろう。お瀧の方はというと前帯ではないので花魁ではなさそうだ。ただ、その容姿や「さわぎ」の手慣れた踊りを見ると女郎あがりをうかがわせる。おそらく英泉が身請けした女郎と所帯を持って、この妓楼を共同経営しているという設定なのだろう。このお瀧を演じているのが宝塚出身の中島亜梨沙さん。大河ドラマ「真田丸」でも吉野太夫を演じていたので適役と言えそうだ。
 お栄こと葛飾応為の代表作「吉原格子先之図」は新吉原の和泉屋の店先を描いたものといわれているが、この和泉屋に於瀧と呼ばれた「引っ込み」 (楼主から実の娘のように育てられ将来を嘱望された幹部候補)がいたことが、一勇斎国芳の画「新吉原江戸町一丁目和泉屋平左衛門花川戸仮宅之図」などに出てくる。おそらく、この於瀧をモデルとして、新たに創造されたキャラクターがお瀧なのだろう。
 ちなみに英泉が「渓斎英泉」画号の落款を用いたのは、師匠の菊川英山が肥後熊本藩主細川公から依頼を受けて、英泉ら弟子たちに描かせた時が最初だったらしい。文政年間の熊本藩主といえば細川斉茲公かその嗣子斉樹公のどちらかだろう。


渓斎英泉とお瀧


和泉屋の「引っ込み」於瀧がモデルか?


英泉の野辺送りでのお瀧


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2 コメント

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Unknown (志場)
2017-09-22 11:46:39
質問です。
晩年は息子宅で世話になっているように描かれていましたが、それは武士宅でした。北斎が武士だったというのは聞いたことがないのですが、どういうことですか?
Re: 志場さま (FUSA)
2017-09-22 13:13:20
応為の最晩年は加賀藩前田家に面倒を見てもらっていて金沢で亡くなったといわれています。
北斎の生まれは百姓説や武家説もあってよくわかりません。

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