徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

谷汲観音さまの縁起

2022-06-08 20:44:21 | 歴史
 しばらくご尊顔を拝していない浄国寺の谷汲観音様。近々お伺いするつもりだ。
 12年前に初めて訪れた時、観音様の表情とともにそのポーズに魅入られた。「西国三十三所観音霊験記」第三十三番の美濃谷汲山・華厳寺には概ね次のようなストーリーが書かれている。

 奥州の金商人である大倉信満は大慈大悲を深く信じており、その霊験か、ある時、文殊菩薩の化身である童子が現れ、霊木の松の木で十一面観音像を造って信満に与えた。信満は京都仁和寺でこの像の供養をした後、美濃垂井までやって来たが、背負った観音像を納めた厨子が重くて動けなくなった。すると厨子の中から観音様が出てきて、ここにゆかりの地がある。あと五里ほど行った辺りに鎮座させなさいと宣う。そこが谷汲という地だった。信満は観音様の大悲の御心に従い、そこに伽藍を建立した。観音像の蓮台の下から湧き出る油によって常灯明を灯し、谷汲寺と号した。

 この話から察するに谷汲観音様は、今まさに厨子から出てきたところで、信満に進むべき方向を指し示している場面なのだろう。だから観音様の視線は信満に注がれており、左手が指し示しているのが谷汲の方向なのだろう。具体的には書かれていない観音様を造形し、谷汲観音と名付けた松本喜三郎のセンスは並外れていると言わざるを得ない。


谷汲観音像