徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

消えゆく京町の面影

2022-06-09 21:57:15 | 熊本
 わが家の真ん前、京町2丁目東端の段丘の上には、戦前、群馬の製糸業で財を成した細谷家の広大な邸宅があった。大きな築山があって、僕らが子供の頃の格好の遊び場だった。威厳に満ちた老人がおられたが、そのお孫さんが僕の1級上の方で、後に「りそなホールディングス」会長などを務めた細谷英二さん(2012年没)。邸内は鬱蒼と茂った木々に囲まれていた。戦後の一時期、その邸内の一角に、小さな平屋が建った。今風に言えば、2DKほどだったろうか。そしてそこに米兵とオンリーさんが入居した。米兵の姿を見かけることは稀だったが、オンリーさんとはよく顔を合わせた。彼女は子供の僕らに笑いかけることもなく、いつも悲しげな表情を浮かべていた。その米兵も昭和30年に引き揚げて行った。オンリーさんがその後どうなったかは知らない。
 この敷地内には、明治9年の神風連の乱で襲撃を受けた陸軍第13連隊長・与倉知実(よくらともざね)中佐の旧居跡があった。与倉は危うく難を逃れたものの、この事件の翌年西南戦争で戦死した。さらに遡れば、この敷地の前を通る道は、加藤清正が、関ヶ原の戦いで敗れた柳川立花藩の家臣たちを引き取り住まわせていたところから柳川小路と呼ばれていた。
 そんな歴史豊かなこの敷地にはマンションが次々と建ち、緑はあっという間に消えて行った。そして、この一角に唯一昔の面影を残していた最後の民家が、数日前から木々が伐り払われ、家は解体され、ついに更地となった。こうしてかつての京町の面影は消えてゆく。


今日見たら、一本の巨樹(エノキ?)を残して更地になっていた。


歩兵第十三連隊長・与倉知実の旧居跡が残っていた頃


一歩入ると鬱蒼と木々が生い茂っていた