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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

肥後六花の歴史と特別舞台

2022-05-19 18:00:19 | 歴史
 昭和56年(1981)に放送されたNHK「新日本紀行 肥後秘花」が最新のデジタル技術で色鮮やかによみがえり、昨年8月に「よみがえる新日本紀行 肥後秘花 ー熊本ー」としてBSプレミアムで放送されました。さらに昨年10月にはNHK熊本ローカルの「くまもとの風」の中で再放送されました。
 下の文はこの番組のナレーション(一部)を文字起こししたものです。

 杜の都、肥後細川藩五十四万石の城下町熊本。江戸時代、この熊本を治めた細川家は、江戸や上方とも違った文化の薫り高い政治を敷きました。そして今も、かつて細川藩の侍たちが武家屋敷の中で育て門外不出としてきた花が、子孫の人たちによって守られています。
 かつて細川公のお側用人を務めてきた杉山家の庭。阿蘇の湧水がせせらぎとなって流れています。当主の杉山さんは門外不出の肥後花しょうぶを守り育てている熊本花しょうぶ満月会の幹事長です。満月会には江戸時代から守られてきた30ヶ条にもおよぶ厳しい規則があります。花は必ず鉢で栽培すること。花は一代限りのもので、本人が死んだらただちに会に返却すること。たとえ親兄弟といえども譲り渡してはならないこと。数々の掟によって肥後花しょうぶは会員の庭だけにひっそりと江戸時代の文化の薫りを伝えてきたのです。一つ一つに能や和歌などからとった名が付けられています。満月会にこれまで登録された花の数は1200余り、350種類余りが今実際に栽培されています。かつてはそれぞれの家が秘伝を持ち、己の死に際に初めてわが子にだけ伝えたと言います。
 武士が育てた肥後の名花は六月梅雨が近づくと花を開きます。細川藩では何事も武士道と結びつけて剛直な侍の気風を育てました。武士たちが花づくりに心を尽くしたのも、けっして遊びではなく、厳しい精神修養の道の一つでした。こうして細川藩では肥後さざんか、肥後つばき、肥後しゃくやく、肥後しょうぶ、肥後菊、肥後朝顔の六つの花、「肥後六花」と呼ばれる華麗な花々が武家屋敷の中で育ちました。


「新日本紀行 肥後秘花」のオープニング画面


肥後花しょうぶ

《 わくわく座 春の特別舞台「肥後六花」のお知らせ 》
 日 時:521日(土)午後1時半より
 場 所:熊本城ミュージアムわくわく座(城彩苑内)
 出 演:舞踊団花童&はつ喜
 入場料:1,500円


舞踊団花童&はつ喜