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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

柳川小路

2021-04-28 20:52:32 | 歴史
 昨日の宇土小路に続いて今日は、京町本丁と2丁目のうち、旧国道3号線(豊前街道)の東側、かつて柳川小路と呼ばれた地区を歩いた。柳川「しょうじ」とも「こうじ」とも読むが、地元の人たちは「しゅうじ」と呼んだ。この名の由来は、関ヶ原の戦で西軍に与して敗れた柳川城主立花宗茂は、加藤清正に家臣たちの扶養を依頼した。清正は即座に200人にものぼる柳川衆を引き受け、京町に住まわせたので、以来この一帯を柳川小路と称した。関ケ原から20年後、宗茂は柳川城主に復帰し、柳川衆も全員帰参した。地名はそのまま明治に至るまで柳川小路と呼ばれたが明治に入り町名制度により「柳川丁」となった。戦後の町名変更で京町本丁と2丁目に組み入れられ、今では熊本都市バスのバス停名「京町柳川」にその名残りを残すのみである。昭和52年(1977)に他界した祖母はこの周辺のことをずっと「柳川丁」と呼んでいたことを思い出す。


柳川小路の北東部にあたる坂(三年坂とも呼ばれた)


Googleマップで見てみると・・・



1650年頃の京町絵図に表記された柳川小路
赤い矢印が上の写真の撮影ポイント


京町2丁目の一角に表示された案内板