徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

メキシコ五輪の真実

2019-07-20 22:50:24 | スポーツ一般
 僕の高校の大先輩である菅原平さん(85)が母黌・済々黌の水球部員に講話をされるというので聴きに行った。僕自身、校門をくぐるのは何十年ぶりだろうか。菅原さんは1968年のメキシコ五輪で日本水球が五輪初の勝利をあげた時の監督であり、また済々黌の水球部が昭和26年(1951)に初めて全国制覇した時のメンバーでもある。そんな経験を、現役の高校生に聴いてもらい、今後の活動のヒントになればという趣旨で開かれたもの。
 講話の中で最も興味深かったのは、現在放送中の大河ドラマ「いだてん」の主人公、田畑政治さんの逸話。メキシコ五輪の時、いったんは選手派遣が見送られた水球を復活出場させ、日本水球界にとって恩人となった田畑さんの政治力。(備考:田畑政治さんとオリムピック噺を参照)
 菅原さんによれば、田畑さんという人はドラマで描かれている通りの破天荒な人で、一見暴論に見えながら理に適っているので、しまいにはみんなを納得させてしまうような人だったらしい。
 エントリー枠11名に対して9名登録しか許されない厳しい条件で臨んだメキシコ大会は、高地の低酸素に悩まされながら、ここで結果を出さなければ日本水球の明日はないという決意で全員が一致団結、欧米の屈強なチームを相手に徹底した守備で応戦。結果、予選リーグで五輪初の3勝をあげるという成績を残した。菅原さんは、これは監督がどうこうというより選手一人一人が覚悟のうえ臨んだ成果だと述懐された。