徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ノスカイのはなし。

2019-07-11 21:13:23 | 音楽芸能
 わが京町に公許の遊郭がつくられた明治7年から約3年間、京町の住民は遊女のことを「ノスカイ」と呼んでいたそうである。北原白秋の詩「柳川」を思い出す方もあるかもしれない。

「もうし、もうし、柳川じゃ、柳川じゃ。銅(かね)の鳥居を見やしゃんせ。欄干橋を見やしゃんせ。(馭者は喇叭の音をやめて、赤い夕日に手をかざす。)薊(あざみ)の生えたその家は、……
 その家は、旧いむかしの遊女屋(ノスカイヤ)。人も住まはぬ遊女屋(ノスカイヤ)。」- 後略 -

 「イヤだな」という気持を表す熊本の方言に「ノサン」という言葉がある。「ノスコッジャニャア」と言ったり、「ノスカイ」というのも同じで、風紀上よろしくないという意味で遊女のことを「ノスカイ」と呼んだようで、これは柳川も同じだったようだ。「ノサン」という言葉は九州各地で使われているようで、これももとは都言葉だったのかもしれない。
 明治10年の西南戦争で京町遊郭が全焼すると、今度は新たに二本木に遊郭がつくられた。熊本は軍都として発展していくことになるが、すると遊女のことを「エビス」と呼び始めたそうだ。「エビス」というのは七福神の恵比須様のことだが、恵比須様はいつもタイ(鯛)を抱いていらっしゃる。つまり「エビス」はタイ(隊)を抱いているというわけだ。お後がよろしいようで。



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