
そこで、漱石の東京帝大教授時代の門下生に鈴木三重吉という人がいる。漱石門下で中心的な活動をした人で、漱石没後の大正7年に児童文芸誌「赤い鳥」を創刊し、児童の情操教育に童話や童謡を活用しようという「赤い鳥運動」を興した。この運動には、芥川龍之介、野上豊一郎、高浜虚子など漱石ゆかりの人々を始め、多くの文化人がこぞって賛同した。今日では三重吉は日本の児童文化運動の父とも呼ばれる。その「赤い鳥」のパートナー北原白秋が、創刊間もない「赤い鳥」に発表したのが、「赤い鳥小鳥」という、まさに「赤い鳥運動」を象徴するような童謡だった。その意味でこの「赤い鳥小鳥」を漱石ゆかりの童謡の一つとして挙げたいと思う。
▼「童謡」と題する漱石の詩
