先日、MLBのドジャース vs メッツの放送を見ていたら、メッツの本拠地シティ・フィールド球場内に「Ain't No Mountain High Enough」の曲が響き渡り、観客が一斉に歌い出した。メッツの中心選手フランシスコ・リンドーアが打席に向かうところだったようだ。
学生時代、僕が大好きだった曲で、マーヴィン・ゲイとタミー・テレルのデュエットがFEN(Far East Network)放送で聞こえてくるとゴキゲンになったものだ。この曲のリリースからしばらく経った頃、病を得たタミーは3年後あっけなくこの世を去る。マーヴィン・ゲイも84年に他界し今はない。当時の若者にとって永遠の恋人となったタミー・テレルのステージネーム「テレル」は世界ヘビー級チャンピオンになったこともあるボクサーのアーニー・テレルからもらったものだという。
話をリンドーア選手に戻すと、彼の普段の入場曲はテンプテーションズの「マイ・ガール」だそうだ。この2曲を使い分けているようだが、この「マイ・ガール」も僕の学生時代にリリースされた曲で同じくらい大好きだった曲。学生時代の懐かしい想い出だ。
◇バディ・ボールデンズ・ブルース(Buddy Bolden's Blues)
19世紀末期のニューオリンズはジャズの揺籃期。ニューオリンズジャズを確立したのがジャズ王とも呼ばれたコルネット奏者のバディ・ボールデンです。そのボールデンの代表曲「Buddy Bolden Blues」をクラリネットの名手、田村麻紀子と P Time Selectionで。
ラフカディオ・ハーンは1880年代の終わりごろまでニューオリンズにいましたので、どこかでボールデンと出会っているかもしれませんね。