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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

おてもやん像の移転先

2015-06-02 12:56:02 | ニュース
 交通センター前の「おてもやん像」の移転先が決まったと、くまにちプラネットが伝えている。1985年に設置されたこの「おてもやん像」は、桜町地区の再開発で今後の成り行きを心配していたが、どうやらJR熊本駅新幹線口の玄関前に移設されることが決まったらしい。交通センター前を通るたびに気になっていたがこれでひと安心だ。移転先の春日地区は、おてもやんのモデルとなった富永登茂(ちも)の故郷。いわばお里帰りというわけだ。
 この「おてもやん像」、近くでご覧になった方はお気づきだろうが、意外と肉感的。そんなところに惹かれるファンも多いと聞く。また新天地で新たなファンの開拓をお願いしたいものだ。 




そんなわけで、お姉さんの魅力溢れる「おてもやん」をどうぞ!

栗田弘一氏撮影


「明治日本の産業革命遺産」世界遺産へ!

2015-05-05 12:39:11 | ニュース
 「明治日本の産業革命遺産」について、ユネスコの諮問機関イコモス世界遺産への登録を勧告したことにより、熊本県内の二つの遺産世界遺産登録がにわかに現実味を帯びて来た。
 おめでたいことには違いないが、喜んでばかりはいられない。世界遺産となると今まで以上に維持保全に力を注がなければならないからだ。ところが、これが実は簡単ではない。老朽化した箇所を補修するにしても歴史を感じさせる風合いが消えてしまっては興醒めになってしまう。数年前、万田坑の竪坑櫓の防錆塗装が問題になったこともあった。
 また、炭鉱事故・災害や劣悪な労働環境、強制徴用など、負の遺産も包み隠さず公開しなければならないことはいうまでもない。

▼万田坑
2008年9月、映画「信さん」ロケに参加した時に撮影







▼三角西港
2011年4月、大矢野町上小学校を訪問した際に立ち寄り撮影



ラン 2題

2015-03-08 20:27:47 | ニュース
■青ガエルのラストラン
 今日が、熊本電鉄・上熊本-北熊本間を走る「青ガエル」2両のうちの1両がラストランを迎えるというので、打越駅周辺へ見に行った。さすがに「撮りテツ」たちの情報収集力は大したもので、昼過ぎには多くの「撮りテツ」たちが沿線にスタンバイしていた。僕が声をかけた人は福岡から来たと言っていたが、県外からやってきた人も多かったようだ。3時ごろまでは北熊本駅で車両公開された後、ラストランが始まった。もう1両は来年3月まで走るそうだが、50年来の友が一人また一人と去っていくようでやはり寂しい。




■前田彩里選手のベストラン
 今日行われた「名古屋ウィメンズマラソン」で、前田彩里選手が2時間22分48秒の好タイムで3位に入り、今年8月の世界選手権の代表をほぼ確実にした。
 この前田選手は熊本信愛女学院の出身だが、僕は彼女の高校時代の走る姿をみた記憶がなく、佛教大学に進んでからの2011年、熊本で行われた全日本インカレの5000mで一度だけ見たことがある。その時はたしか7位くらいだったと記憶しているが、高校大学の先輩でもある同じ長距離の吉本ひかり選手の陰であまり目立たない存在だったような憶えがある。実は、マラソンで注目選手としてメディアで取り上げられるようになってからも、つい最近まであの前田選手だと気付かなかった。スポーツ選手のライフサイクルというのはわからないものだ。それはともかく、まだ23歳、今の勢いを続けてくれれば、来年のリオ五輪、5年後の東京五輪も楽しみになって来た。

50年来の友 「青ガエル」の引退

2015-01-24 17:23:22 | ニュース
 今朝の熊日新聞に「青ガエル」の引退のニュースが載っていた。「青ガエル」とは熊本電鉄の5000形車両のことだ。現在、熊本電鉄には2両の「青ガエル」が稼働しているが、そのうちの1両が老朽化のため2月下旬で引退するという。もう1両も来年3月までの予定だそうだ。
 僕が「青ガエル」と初めて出逢ったのは50年前。1964年に上京して大学進学したが、通学の交通機関として利用したのが、元住吉・渋谷間の東急東横線。そしてその頃、東横線の主力車両としてバリバリ活躍していたのが「青ガエル」だった。以来、4年間の通学にお世話になった。大学を卒業してからは東横線を使うこともなくなり、「青ガエル」を見ることもなかった。それから30年後、僕は郷里の熊本に帰って来たが、なんとそこで、「青ガエル」と再会したのである。僕が熊本に帰る10年ほど前、「青ガエル」は東急電鉄から熊本電鉄が譲り受け、第二の人生を送っていたのである。上熊本・北熊本間という僕にはほとんど縁のない区間だが、僕の家からは毎日、打越橋の上を走る「青ガエル」が見える。旧友が相変わらず頑張っている姿を見てホッとするような、そんな気持になったものだ。その「青ガエル」もいよいよ役割を終える時期が近づいてきたようだ。言いようのない寂しさがこみ上げてくる。引退セレモニーも予定されているようなので、その時は精一杯ねぎらってやりたいものだ。


永遠のヒーロー 安らかに

2015-01-18 14:05:53 | ニュース
 昭和33年(1958)の選抜高等学校野球大会で優勝した済々黌チームのエース城戸博さんの訃報が今朝の熊日新聞で報じられた。
 僕らの5級先輩で、優勝当時、僕はまだ中学1年生だったが、小学生の頃から城戸さんのことは知っていた。僕が通っていた熊大附小と城戸さんがいた京陵中学校のグラウンドは道路を挟んで隣接していて、当時は塀などはなく京陵中の土手に登ればいつでも野球部の練習を見ることができた。中学時代から城戸さんは目立っていた。左腕から繰り出す速球とドロップ、そしてバッティングセンスはまだ野球好きの小学生に過ぎなかった僕にもひときわ光って見えた。済々黌に進んだ城戸さんはすぐに中心選手になった。その頃から僕は高校野球のシーズンになると、母が作った弁当を持って水前寺球場へ足繁く通った。そしてあの昭和33年春の選抜大会がやってきたのである。済々黌が勝ち進む度に受ける城戸さんのインタビューを見るのが楽しみだった。城戸さんは必ず、「次は負けま~す!」と言っていたのを想い出す。最近ではこんなにあっけらかんとインタビューを受ける高校生を見たことがない。甲子園から凱旋した済々黌チームを迎えるため、数万人の市民で埋まった熊本駅前の光景を僕は決して忘れない。僕らの永遠のヒーロー、どうぞ安らかにお眠りください!合掌

環境無視の公共工事

2014-12-17 20:38:57 | ニュース
 数週間前になるが、熊日新聞に次の記事が掲載された。



 記事によれば、国交省菊池川河川事務所は「事前の調査が不十分で・・・」などと言いわけをしているが、そんなわけはない。つい5、6年前に菊池川河口のヤマトシジミが川砂の大量採取で激減した問題の時、熊本県立大と国交省菊池川河川事務所がグループ研究をしていて、この河口周辺の環境が微妙な状態にあることは承知していたはずだ。知っていながら、「公共工事ありき」でやったに違いない。
 昨年7月、玉名市大浜町の母の生家へ、母と連れ立って盆のお参りに出かけた時、この工事が始まっていて、歴史的構築物の「清正公枠」が消えて無くなっているのに気付き、いやな予感がしたものだ。「今後は学識者の意見を聞きながら・・・」などと言っているが、おそらくこれからも公共工事を推進することが優先するのだろう。


この「清正公枠」も消えてしまった。


コンクリートで固められた大浜町の川岸

消えゆく? 父の想い出の小学校

2014-10-22 16:31:40 | ニュース
 今朝の熊日新聞に、熊本市西区の松尾東、松尾西、松尾北の小学校3校を、同じ城西中校区の小島小と統合する方向であるというニュースが載っていた。児童数の減少でやむをえないことなのかもしれないが、このうちの松尾東小は昔、松尾小学校といって僕の父にとっては初任配置された思い出深い学校。もし生きていれば寂しがったに違いない。また、この学校は平安時代の女流歌人、檜垣嫗が閼伽の水を汲んで岩戸観音へ日参した道沿いにあり、僕も季節ごとに訪れる馴染みのルートでもある。もし、学校が無くなってしまうとなれば寂しさは禁じ得ない。

 昭和6年に師範学校を卒業した父は、川尻尋常高等小学校勤務の辞令をもらったものの、すぐに5ヵ月間の短期兵役に服務した。兵役が明けて8月31日付けでもらった辞令は何と松尾尋常小学校への転任。従って松尾が実質的な初任地ということになった。その初出勤の様子を父は次の様に書き遺している。

 さて、辞令を受けたら一週間以内に赴任すればよいと聞いていたし、娑婆の風に吹かれるのも5ヶ月ぶりだから2、3日休養してからとのんびり構えていた。ところが退営の翌日、つまり9月1日の昼過ぎクラスメートのK君が訪ねてきた。彼は当初から松尾小勤務となっていたので一緒の赴任である。二人とも未知の学校であり、所在地も知らないので下見に行こうというわけだ。新市街からフォード幌型のバスに揺られて30分、運転手に教えられて松尾村役場入口という標柱のある所に降り立った。辺り一帯は田んぼであり家は一軒もない。行く手300メートル位の山麓に農家が2、3戸点在している。進むこと10分余、集落に差しかかった。しかし校舎らしい建物は見当たらない。里人に聞くと「学校はさらに10分程登ったところ」だと言う。ここからはいよいよ爪先上りの山道である。K君と顔を見合わせながら「えらい辺鄙な学校だな」と言いつつ上りに上る正面には金峰山が峨々として突立っている。右手は急斜面の櫟林、左手は段々畑でその下に谷川のせせらぎが聞こえる。漸く校舎が見えてきた村道から幅1メートル程の通学路に入り十数段の階を上ったところに校舎はあった。しかし、校舎内外に人影はなく静まり返っている。なるほど今日は第二学期の始業日、みな早退したのだなと思いつつ校庭を一巡していると、端の教室からオルガンの音が聞こえてきた。そこで教室に入り来意を告げたところ、日直勤務という女先生が「職員も児童も新任の先生のおいでを待ち焦がれています」との言葉。こうなれば何をか言わん翌日から出勤と相成った次第である。松尾小は金峰山の南麓段丘の山懐に位置し、職員7名(男5、女2)、児童150名余、学校長以外はすべて学級担任である。当時ほとんどの学校には校番さん(今の用務員)か小使いさんがいたが、この校にはその配置がなく、例えば鐘打ちは高等科の男子の当番という具合で、それぞれを職員もしくは児童で補っていた。






阿蘇悠久 ~ 阿蘇 世界ジオパークに!~

2014-09-23 20:17:36 | ニュース


 熊本県の「阿蘇」が、世界的に貴重な地形や地質が残る自然公園「世界ジオパーク」に認定された。日本国内での認定は7例目だそうだ。熊本県民にとっては、昨年の「世界農業遺産」登録に続いての嬉しいニュースだ。
 約30万年前から大規模な噴火を繰り返し、形成した巨大なカルデラは、南北25km、東西18kmに及び、世界最大級の規模を誇る。今日も噴煙を上げる中岳は、今日現在、「噴火警戒レベル2」の状態で火口周辺は立ち入ることができない。
 この喜ばしい日に、大阿蘇の悠久の歴史に思いを致すのも意義深いことかもしれない。


大荒れの八朔!

2014-08-01 21:04:07 | ニュース
 今日から8月。雨が降りしきる中、母を連れて藤崎八旛宮へ朔日のお参りへ。今夜は玉名の花火大会だが、この天候だと危ないなと思っていると、早々とネット上に「延期」のアナウンスが。花童の玉名デビューもお流れになり残念。
 台風12号は各地に大雨をもたらしたり、はたまた猛暑をもたらしたりと大荒れの一日となった。そんな中、猛暑の京都・祇園では恒例の「八朔」が行なわれたというニュースが。芸舞妓が日頃お世話になっているお師匠さんやお茶屋さんに「おめでとうさんどす」と挨拶回りをする行事だ。映像の中にまめ藤さんやまめ菊さんの初々しい姿も見えた。
 さて、台風11号が続いて来ている。来週の木曜日に延期された玉名の花火大会は大丈夫だろうか。

▼まめ藤さん?