ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

照和その2

2013-05-07 09:44:20 | メディア
映画『照和』に先立つこと5年前
甲斐さんのファンクラブ会報に

門田一郎さんの『1970年物語』が掲載されたことがあった

その連載開始にあたって
甲斐さんが書かれた文章に…

『照和』というライブハウスについての書物は

ほとんどが偏ってたり歪んでたりして正確ではなかった

取材対象が照和の中の人間ではなく
半端な周辺の人間だったりして

どの時期が最盛期であったのか
特定出来なかったことが原因だとあった


そもそも『照和』は、藤松武さんがマネージャーになられ

地下1階を若者のための『歌声喫茶』にしようと
思いつかれたことが始まりだったようだ

千葉和臣さんのコメントにもありましたけど

当時、音楽をやっていた若者は
みんな演奏する場所に困っていたという

藤松さんから依頼され
出演者を探していたTさんから話を聞いて
学生達が飛びついたようだ


1970年11月21日
フォークソング喫茶『ヤング照和』開店

当初の出演者は
エジンバラ、フォークメイツ
ハーズメン、ライラック、テキサス決死隊など…

門田一郎さんによると…

ハーズメンには
後のチューリップのメンバー安倍俊幸さん

ライラックは
千葉和臣さんと姫野達也さん

エジンバラは…
福岡大学フォークソング愛好会だったはず…?(笑)

テキサス決死隊は
照和伝説同窓会コンサートで
初めて見た、聞いた(爆)

フォークメイツに関しては
何もご存知なかったようだ(笑)

それまでカレッジフォークのメッカは
須崎公園だったらしいんだけど

武田鉄矢さんがその代表者になられて
メッセージ性が強い関西フォークを前面に打ち出し

金を貰って演奏するなど言語道断(爆)
と照和に出演することを非難されたそうだ


ソロ600円、バンド700円の時給なんて
照和までの交通費にもならないくらい安いと思うんだけど(爆)

門田さん率いる妙安寺ファミリーバンドはメンバー7人だし(爆)

甲斐さんが時給アップの交渉をされた時も

利益の追求ではなく地域的貢献のためという
得体の知れない文化的理由で(笑)

1年後にやっと100円上げて貰うのが精一杯だったらしい(汗)


甲斐さんが夜ヒットに出演された折り
陣内孝則さんが花束を持って登場されて
『100円の恩義がある』とおっしゃってましたね(笑)


それはさておき…

さすがの武田鉄矢さんも
真冬の須崎公園で演奏するのは辛かったようで(笑)

練習が出来ないよりマシとおっしゃって
照和に出演されるようになったらしい(笑)
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