甲斐さんが、照和で歌っていらした頃
「ギターケースを持ってるだけで不良と呼ばれた」とか
「ストーンズのTシャツやアロハシャツを着てると
お巡りさんから胡散臭そうに睨まれた」…と話されてましたが(笑)
メアリー・クヮントが「女性のファッションでポイントは3つ
注目されること、セクシーなこと、気分が上がること…暖かさは求めていない」と
「誰も見たことないほどスカートの丈を短くした」ら
「『禁止すべきだ』って、紳士たちは不快感をあらわにした」らしい
…が「グラマラスな女性が美人」とされ
「『ヴォーグ』誌が、訛りのあるモデルを除外していた」当時
初めて、コックニー訛りを持つスレンダーなツィギー(小枝)がモデルとなり
「ミニスカートとピルが女性たちを自由にした」訳だし
3大カメラマンの1人、デヴィッド・ベイリーは
「俳優に勝るとも劣らないカリスマ性を持ち
とびきりの美女ばかりを撮った」そうで
モデルのペネロピ・トゥリーの家を訪ねた際に
「ドアを開けた母が、ベイリーだと気づき、ドアを閉めようとすると
彼は『ローリング・ストーンズが来るよりマシだろ』って言った」んだとか…(笑)
ストーンズって、どんだけ~!?(笑)
この「私は自由」と題された第2章は
ロンドンが「スウィンギング・ロンドン」になった理由
…様々なジャンルの若き革命者たち…のインタビュー映像がちりばめられ
その成功者たちが海を渡り、アメリカのタイム誌が
「ブリティッシュ・インヴェイション(イギリスの侵略)」と呼んだほど
強烈なインパクトを与えたことや
サッカー発祥の地でありながら、W杯で優勝したことがなかった英国…
66年大会のイングランド優勝によって
ロンドンっ子たちが更に勢いづいたことなどが紹介されていたそうです
デヴィッド・バッティ監督は、この作品を作った理由に
「自分が60年代生まれだから」ということと
「私が、60年代の音楽を聴いて育ったこと」を挙げ
「今の若者は、音楽を1曲単位で聴き
アルバム全体を聴くことがありませんが
アルバムの曲順には意味があり、曲の流れが物語を形作っています
同様に60年代も、個々の出来事からは判らなくても
全体を見ると理解できるんです」と説明していて
奥さんは、自分が甲斐バンドを聴いて育ったことや(笑)
そのアルバムを「コンセプトアルバム」として
1曲目から順に聴き、その意味を考えていたこと(笑)を思い出し
「めっちゃ判りやすいんですけど~(笑)」と申しておりました(笑)
パンフレットの中で…「ミニスカートと音楽だけではない60年代を再現」とか
「『スウィングしなければ、ジャズじゃない』とはよく言われるが
音楽だけではなく、街全体がスウィングしていた稀有な時代があった」と記されていたり
ザ・フーのピート・タウンゼンドが…「この国の音楽は語る価値もなかったが、若者たちが考えるようになった
『ファッションを自分たちで生もう!音楽もだ』ってね」と語っていたり
前述のデヴィッド・ベイリーが…
「ビートルズが60年代のロンドンを生んだ?その逆だ」…と言ったことについて
ピーター・バラカン氏が…「ちょっと言い過ぎのような気がしますが
そう言いたい彼の気持ちも判ります」…と記していたりと
「スウィンギング・ロンドン」とは、音楽に限らず
映画、文学、演劇、ダンス、ファッション、アート等々
あらゆる文化の新しい発信地であり
その熱で世界を揺るがせた輝ける時代だということに間違いはない…とはいえ
プロデューサーのサイモン・フラーのように
「私の記憶は、必ず当時のヒット曲と結びついています」
…と、おっしゃる方は少なくないでしょうし
同じ時代に同じ曲を聴いたという「共有体験」は
他の文化のそれよりも密接度が高いというか
言い方はナンですけど、音楽は誰でも容易に触れることが出来るという点で
「ロンドン」の斬り込み隊長的な役割を果たしたんじゃないかと…?
ただ…「すべてが見た目とは違った」という第3章では
「支配層が若者たちの堕落の原因だと思うものを排除する動きが明確」になり
「LSDやマリファナなどの薬物使用に厳しい目が向けられ」
ミュージシャンでは、ドノヴァンが最初に逮捕され
キース・リチャーズも家宅捜索を受け
ミック・ジャガーは薬物使用で有罪判決
ブライアン・ジョーンズは薬物中毒で命を落とすことに…(汗)
でも、目白大学の三上教授は…
「米国発の『ヒッピー』などの若者は
ロックを聴き、ドラッグに耽っても社会を変えることは出来なかった
日本の60年代の学生運動は、新しい文化を生み出さなかった
若者は常に反抗するが、ロンドンの若者たちは、ただ反抗していただけではない
文化面のみにとどまらず、価値観をも変化させた」…と記されてます
奥さんが、この映画を上映しているのと同じ映画館で観た
「エリック・クラプトン 12小節の人生」とリンクする場面も少なくなかったようで
ピート・タウンゼンドが登場した時は
「ああ、この人がクラプトンを救った人だよね」と、シゲシゲ眺めたり
ミックの逮捕シーンでは…「クラプトンが
『〇〇は父親が偉いさんかナンかで
逮捕されなかった』とか
『ポールやミックはチクられた』みたいに言ってたなあ」と思い出したり…
「3歳の頃から記憶がある」と豪語(笑)しているものの
60年代生まれの奥さんにとって「スウィンギング・ロンドン」は
「そういうことがあった」というひとつの「知識」に過ぎず
今回初めて「パズルのピースがカチッとハマった感じ」なのに対し
「60年代」という時代の波を「日本のリバプール」博多で浴びられ
ご自身のことを「60年代のしっぽ」とか
「遅れて来た全共闘少年」とおっしゃっていた甲斐さんにとって
「イギリスの侵略」の衝撃のスゴさはもちろん
当時のアイコン的存在だった人々が、今も現役で活動していることや
「その影響が今日まで及んでいる」ことで
なお一層「あの時代」に惹かれておられるのかなあ…?
まあ、甲斐さんと同い年とはいっても
ボクの生まれ育った町に届いた波は「さざ波」だったみたいで(笑)
天と地がひっくり返る…とまでは行かなかったんですよねぇ(苦笑)
映画のラストで、ナビゲーターを務めたマイケル・ケインが
「60年代を振り返り、何より心を打つのは
初めて未来が若者によって作られたことかも知れない
間違いなく私たちの時代…人生最良の時だった
若さとは年齢じゃない、心のあり方だ
過去に憤らず、未来に期待しよう
そして、夢は小さくまとめるな」と語っているそうだけど
マイケル氏自身はもちろん、ビートルズは70年に解散したとはいえ
ポールは今もステージに立っているし、ストーンズもしかり
ドールトリーもソロアルバムをリリースするなど
まだまだ「心の若者たち」から目が離せませんね
余談ですが…甲斐さんが「ストーンズからビートルズから何から
全部いっぱい出てて、フーも出てて、バーッと出てるんで
あまりに幅広い曲ばっかりなんで
やっぱ、版権がほとんど取れないと…えー、ということなんだと思います
サントラあったら、最高の…最高な映画なんだなと…」と話されていた通り
あの洋楽にウトい奥さんでさえ(笑)
「サントラがあったら絶対買う!」と言うくらい、そうそうたるラインナップ…
冒頭に「終戦直後のロンドン」が映し出されると
キンクスの【デッド・エンド・ストリート(袋小路)】が
「私は自由」の第2章では、クリームの【アイ・フィール・フリー】が
…といった風に、ちゃんと映画の中身に合わせて流されるらしい
その映画館が、甲斐さん御用達の「六本木の映画館」みたいに
サウンドが良いハコなのか?どうか?は不明ながら
「歴史的事件が信じられないほどたくさん起きた10年」を約90分で語るため
「1つの事柄に90秒以上かけていない」映画で流れる音楽は
「もう少し聴いていたかったのに…」と思わせる長さで(笑)
次々と現れては消えて行くようで(苦笑)
それがまた「サントラ待望」論を生んでいるんじゃないかと…?(笑)
「ギターケースを持ってるだけで不良と呼ばれた」とか
「ストーンズのTシャツやアロハシャツを着てると
お巡りさんから胡散臭そうに睨まれた」…と話されてましたが(笑)
メアリー・クヮントが「女性のファッションでポイントは3つ
注目されること、セクシーなこと、気分が上がること…暖かさは求めていない」と
「誰も見たことないほどスカートの丈を短くした」ら
「『禁止すべきだ』って、紳士たちは不快感をあらわにした」らしい
…が「グラマラスな女性が美人」とされ
「『ヴォーグ』誌が、訛りのあるモデルを除外していた」当時
初めて、コックニー訛りを持つスレンダーなツィギー(小枝)がモデルとなり
「ミニスカートとピルが女性たちを自由にした」訳だし
3大カメラマンの1人、デヴィッド・ベイリーは
「俳優に勝るとも劣らないカリスマ性を持ち
とびきりの美女ばかりを撮った」そうで
モデルのペネロピ・トゥリーの家を訪ねた際に
「ドアを開けた母が、ベイリーだと気づき、ドアを閉めようとすると
彼は『ローリング・ストーンズが来るよりマシだろ』って言った」んだとか…(笑)
ストーンズって、どんだけ~!?(笑)
この「私は自由」と題された第2章は
ロンドンが「スウィンギング・ロンドン」になった理由
…様々なジャンルの若き革命者たち…のインタビュー映像がちりばめられ
その成功者たちが海を渡り、アメリカのタイム誌が
「ブリティッシュ・インヴェイション(イギリスの侵略)」と呼んだほど
強烈なインパクトを与えたことや
サッカー発祥の地でありながら、W杯で優勝したことがなかった英国…
66年大会のイングランド優勝によって
ロンドンっ子たちが更に勢いづいたことなどが紹介されていたそうです
デヴィッド・バッティ監督は、この作品を作った理由に
「自分が60年代生まれだから」ということと
「私が、60年代の音楽を聴いて育ったこと」を挙げ
「今の若者は、音楽を1曲単位で聴き
アルバム全体を聴くことがありませんが
アルバムの曲順には意味があり、曲の流れが物語を形作っています
同様に60年代も、個々の出来事からは判らなくても
全体を見ると理解できるんです」と説明していて
奥さんは、自分が甲斐バンドを聴いて育ったことや(笑)
そのアルバムを「コンセプトアルバム」として
1曲目から順に聴き、その意味を考えていたこと(笑)を思い出し
「めっちゃ判りやすいんですけど~(笑)」と申しておりました(笑)
パンフレットの中で…「ミニスカートと音楽だけではない60年代を再現」とか
「『スウィングしなければ、ジャズじゃない』とはよく言われるが
音楽だけではなく、街全体がスウィングしていた稀有な時代があった」と記されていたり
ザ・フーのピート・タウンゼンドが…「この国の音楽は語る価値もなかったが、若者たちが考えるようになった
『ファッションを自分たちで生もう!音楽もだ』ってね」と語っていたり
前述のデヴィッド・ベイリーが…
「ビートルズが60年代のロンドンを生んだ?その逆だ」…と言ったことについて
ピーター・バラカン氏が…「ちょっと言い過ぎのような気がしますが
そう言いたい彼の気持ちも判ります」…と記していたりと
「スウィンギング・ロンドン」とは、音楽に限らず
映画、文学、演劇、ダンス、ファッション、アート等々
あらゆる文化の新しい発信地であり
その熱で世界を揺るがせた輝ける時代だということに間違いはない…とはいえ
プロデューサーのサイモン・フラーのように
「私の記憶は、必ず当時のヒット曲と結びついています」
…と、おっしゃる方は少なくないでしょうし
同じ時代に同じ曲を聴いたという「共有体験」は
他の文化のそれよりも密接度が高いというか
言い方はナンですけど、音楽は誰でも容易に触れることが出来るという点で
「ロンドン」の斬り込み隊長的な役割を果たしたんじゃないかと…?
ただ…「すべてが見た目とは違った」という第3章では
「支配層が若者たちの堕落の原因だと思うものを排除する動きが明確」になり
「LSDやマリファナなどの薬物使用に厳しい目が向けられ」
ミュージシャンでは、ドノヴァンが最初に逮捕され
キース・リチャーズも家宅捜索を受け
ミック・ジャガーは薬物使用で有罪判決
ブライアン・ジョーンズは薬物中毒で命を落とすことに…(汗)
でも、目白大学の三上教授は…
「米国発の『ヒッピー』などの若者は
ロックを聴き、ドラッグに耽っても社会を変えることは出来なかった
日本の60年代の学生運動は、新しい文化を生み出さなかった
若者は常に反抗するが、ロンドンの若者たちは、ただ反抗していただけではない
文化面のみにとどまらず、価値観をも変化させた」…と記されてます
奥さんが、この映画を上映しているのと同じ映画館で観た
「エリック・クラプトン 12小節の人生」とリンクする場面も少なくなかったようで
ピート・タウンゼンドが登場した時は
「ああ、この人がクラプトンを救った人だよね」と、シゲシゲ眺めたり
ミックの逮捕シーンでは…「クラプトンが
『〇〇は父親が偉いさんかナンかで
逮捕されなかった』とか
『ポールやミックはチクられた』みたいに言ってたなあ」と思い出したり…
「3歳の頃から記憶がある」と豪語(笑)しているものの
60年代生まれの奥さんにとって「スウィンギング・ロンドン」は
「そういうことがあった」というひとつの「知識」に過ぎず
今回初めて「パズルのピースがカチッとハマった感じ」なのに対し
「60年代」という時代の波を「日本のリバプール」博多で浴びられ
ご自身のことを「60年代のしっぽ」とか
「遅れて来た全共闘少年」とおっしゃっていた甲斐さんにとって
「イギリスの侵略」の衝撃のスゴさはもちろん
当時のアイコン的存在だった人々が、今も現役で活動していることや
「その影響が今日まで及んでいる」ことで
なお一層「あの時代」に惹かれておられるのかなあ…?
まあ、甲斐さんと同い年とはいっても
ボクの生まれ育った町に届いた波は「さざ波」だったみたいで(笑)
天と地がひっくり返る…とまでは行かなかったんですよねぇ(苦笑)
映画のラストで、ナビゲーターを務めたマイケル・ケインが
「60年代を振り返り、何より心を打つのは
初めて未来が若者によって作られたことかも知れない
間違いなく私たちの時代…人生最良の時だった
若さとは年齢じゃない、心のあり方だ
過去に憤らず、未来に期待しよう
そして、夢は小さくまとめるな」と語っているそうだけど
マイケル氏自身はもちろん、ビートルズは70年に解散したとはいえ
ポールは今もステージに立っているし、ストーンズもしかり
ドールトリーもソロアルバムをリリースするなど
まだまだ「心の若者たち」から目が離せませんね
余談ですが…甲斐さんが「ストーンズからビートルズから何から
全部いっぱい出てて、フーも出てて、バーッと出てるんで
あまりに幅広い曲ばっかりなんで
やっぱ、版権がほとんど取れないと…えー、ということなんだと思います
サントラあったら、最高の…最高な映画なんだなと…」と話されていた通り
あの洋楽にウトい奥さんでさえ(笑)
「サントラがあったら絶対買う!」と言うくらい、そうそうたるラインナップ…
冒頭に「終戦直後のロンドン」が映し出されると
キンクスの【デッド・エンド・ストリート(袋小路)】が
「私は自由」の第2章では、クリームの【アイ・フィール・フリー】が
…といった風に、ちゃんと映画の中身に合わせて流されるらしい
その映画館が、甲斐さん御用達の「六本木の映画館」みたいに
サウンドが良いハコなのか?どうか?は不明ながら
「歴史的事件が信じられないほどたくさん起きた10年」を約90分で語るため
「1つの事柄に90秒以上かけていない」映画で流れる音楽は
「もう少し聴いていたかったのに…」と思わせる長さで(笑)
次々と現れては消えて行くようで(苦笑)
それがまた「サントラ待望」論を生んでいるんじゃないかと…?(笑)