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ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(1/5)4

2019-01-09 18:12:00 | メディア
【キラー・クイーン】が流れた後
「ハイ、ということで…」と甲斐さん
「えー、実はですね…去年、ま、急遽ね
えー、ある番組で『ボヘミアン・ラプソディ』の特集1時間…テレビなんですけど
1時間特集したいということで、番組依頼が来たんですよ

そいで、それも3日後…みたいな感じで…
だから、まあ、たぶん…あのー、急遽…その、やろうと…
ま、あのー、とにかく、こんなに(映画が)流行ってると思わない…
しかも年末進行で、ちょっと早めに撮っとかないとダメなんで
たぶん、そういうのもあって、急遽来たと思うんですけど…

そいで、まあ、坂上くん関係のテレビなんですよね
で…『ボヘミアン・ラプソディ特集します、お願い出来ませんか?』って
バイキングのプロデューサー通して来たんで
これ、むげに出来ないなと思って…
『じゃあ、ちょっと1日考えさして』って言って…」
…と話された途端に、ある番組名が浮かび(笑)

更に…「で、まあ、そういうね、話だったんですけど…
で…(『考えさして』と)言って、向こうから台本みたいなの出して来て
で…『ゲストも、ま、これだけ』と…
で…『1時間お願いします、出ずっぱりで…』みたいな…

そしたら、まあ、他にロックミュージシャンが1人いたんですよ
それも、僕と世代が近い…それと、あとジャニーズの若手と…っていう
『ま、その2人は決まってます』って…」と話されたトコで
「ああ、やっぱり『シンソウ坂上』だね(笑)」と奥さん

とにかく、昨年末は、ありとあらゆる番組で取り上げられた
「ボヘミアン・ラプソディ特集」を見倒していたので(笑)
甲斐さんと世代の近い「ロックミュージシャン」っていうのは
最近、バイキングのコメンテーターに就任された
世良公則さんじゃないか?と…(笑)

もっとも、もうお一人は「ジャニーズの若手」ではなく、森公美子さんで
やはり年末に急なオファーでは、スケジュールの調整がつかなかったのかなあと…?

ともあれ…「『イヤ、だったら、僕、イイんじゃないですか?』って…
だって、2人ロックミュージシャン…しかも世代近くて…っていったら
結局、あのー『俺、知ってるもんね』的な感じで
みんなで言い合う感じになるじゃないですか

だから、こういうのって、チャラい展開になるんで
『イヤ、もう決まってるんだったら、僕、遠慮しますよ』みたいな感じで
ま、結局、ヤメたんですけど…
絶対、僕、出してた方が良かったですね(笑)
俺、ものすごく詳しいから、この辺のバンドって…」と、おっしゃったのは
この番組をご覧になってのことだったのか?どうか?はさておき…(笑)

奥さんが録画した映像によれば…
バイキングと同様、テーマごとに映像が流れ、それに対するコメントを話す
…といった形式で「めくりボード」がないぶん、映像が長く
そんなに突っ込んだ話をするヒマがなかった…って、まあ、生放送じゃないので
実際には長く喋っておられたかも知れないんだけど…

また、バイキングを拝見する限り
世良さんは、とても生真面目に…というか、甲斐さんみたいに?(笑)
あまりテーマから外れるようなプチ情報やご自身の体験談などを
ブッ込まれたりなさらないので(笑)
そのぶん、番組進行はスムーズかも知れませんが(笑)
先に甲斐さんにオファーして頂きたかったですねぇ?

その回の「シンソウ坂上」の内容をざっとご紹介しますと…
まず「なぜクイーンは日本人に愛され
また、なぜクイーンも日本を愛したのか?」というテーマで始まり

1971年の結成当時、イギリスでは「時代遅れ」「音が古すぎる」
「オリジナリティに欠け、とても成功するとは思えない」などと酷評されていたのが
初来日の際、羽田空港に3千人ものファンが押し寄せ、熱烈な歓迎を受けた
…と、まあ他番組でも取り上げられていた映像が流れたんですが

この番組では、その羽田空港の混乱ぶりについて
当時クイーンのボディガードを務められた伊丹久夫さんにインタビューしていて…

「すごかったですね、もう通路も全部ふさがれちゃいますから
それを掻き分けて外に出るということですよね
空港で揉みくちゃにされたりするのは、クイーンが初めてかな
それまでの外国人アーティスト達は、そんなに揉みくちゃにされてませんから」

…とおっしゃるくらい、想定外の熱狂的な人気に驚き
ブライアン・メイが「違う世界に来た気分だ
これまで、どこの国に行っても、このような歓迎を受けたことはない」とコメント

フレディも「日本はとても良い国だね
とても歓迎してくれて感謝してます」と
世界で初めて自分たちをスーパースターとして迎えてくれた日本に心惹かれ
プライベートでも何度となく来日したこと…
当時、観光地化されていなかった栃木県足利市の美術館に
陶磁器を見学するためだけに訪れたり

食事も取らずに買い物をし、気に入ったものを見つけると手を揉む仕草をしたとか
必ず、和室で食事をし、同席者の方々の座布団を配ったとか
お忍びで通っていたバーでの様子など…が紹介され

また、フレディ自ら、来日時の帯同通訳の方に翻訳を依頼し
日本語の歌詞で歌われた【Teo Torriatte(手を取り合って)】が
日本盤だけでなく、全世界に向けたアルバムに収録されたのは
日本のファンに特別な思いを持っていたんじゃないかと話されてましたが
それよりも、フレディの日本語が超ウマイことにビックリ!
そこにもっと触れて欲しかったなあ(笑)

続いて…「その後、クイーンはヒット曲を次々と発表し
世界的大ブレイクを果たす」として…
【ウィ・ウィル・ロック・ユー】は、アンコールを求める観客の姿を見て
ブライアン・メイが、手拍子足拍子で参加できるようにと作った曲…とか

【ボヘミアン・ラプソディ】の歌詞について
作詞家のティム・ライスが「自らのセクシャリティに関する
フレディの苦悩や葛藤が込められている」と分析した…といったことが紹介され

番組開始から約20分経って、ようやくスタジオの映像に切り替わり
「自分がゲイである…それをカミングアウトじゃないですけど
異性と交わる自分を殺すんだ…っていう意図が込められたと思って聴くと
全然、聴こえ方が違う」と坂上さん

森公美子さんは「その後、オペラチックな部分になって…
ちょっと昇天したような感じになって
それでまた自分に戻って来るっていうのが…
あの音楽構成が、めちゃくちゃスゴくなってる」と話されてたけど
世良さんのコメントは、カットされた模様…(汗)

そして…「デビュー10周年を迎えようとした頃
グループはドン底、クイーン解散の危機」とのテーマに移り
1985年5月8日の「夜のヒットスタジオ」の映像へ…
6度目の来日時、武道館公演を終えたばかりのクイーンが
翌日から予定されている日本公演の告知のために出演したらしいんだけど
そこに、フレディの姿はなく…(汗)

当時のクイーンは「南米ライブで、フレディが女装して非難された」り
「アパルトヘイト政策の南アフリカでライブを行い
イギリス音楽組合から罰金処分を受けた」り
「Wham!やa-haなど若いアーティストが次々台頭し
人気に翳りが見え始めた」ところに
「メンバーそれぞれがソロ活動に走った結果
批評家たちから『クイーンは終わった』と言われ低迷して行く」ことに…

が、しかし…「起死回生のヒット曲【RADIO GA GA】を発表
テレビの台頭で衰退するラジオと
人気が衰える自らの姿を重ね鼓舞する曲」で
「再び脚光を浴びたクイーンは、ライブ・エイドに招待され
7万5千人が詰めかけたウェンブリー・スタジアムで
20分間に出演者の中で最多の6曲を披露し、最高の評価を得た」

…とのことでしたが、奥さんは「ライブ・エイド」を「BIG GIG」に置き換え
「デビューから、10年ほど経った甲斐バンド」の内部事情が重なり
また、甲斐さんが、この【RADIO GA GA】をお好きだと知って
なかなかフクザツな心境だったようです(苦笑)

で…「完全復活したクイーンは、もう一度、上を目指して行くんだ」と
その翌年、ライブ・エイドが行われたのと同じスタジアムで
2日間の単独ライブを敢行したものの
これが、生前のフレディ最後のステージに…

「今もファンの間で伝説となっている貴重なライブ映像」が流れ
「ヤバイ!感動しちゃう、これはちょっと…」と坂上さん
世良さんは「素晴らしいですよね」とコメントされ

森公美子さんは「この映像が見られて有難い!」とおっしゃって
フレディの声は、あの骨格と「矯正」をしなかったからこそ
高音が出せるし、声を飛ばすことが出来ると説明

坂上さんが「解散寸前まで追い込まれた時があって
やっぱり、バンドの難しさって…世良さんも…」と振られて

世良さんは「結局は、音楽で繋ぎ止めるか?人間が繋ぎ止めるか?
お金が繋ぎ止めるか?バンドって色んなパターンがあると思うんですよ
で、彼らは、やっぱり自分たちの曲にパワーを持つことによって
バンドとして再生して行こうと意識するっていうのは、一番ステキですよね

僕は、人間力で食い止められなかったし
自分の音楽で全員を納得させられるだけの曲を書けたら
続いていたかも知れない」と振り返っておられましたが
甲斐さんだったら、どう話されたんでしょうね?

最後は…「復活したクイーンに起こった悲劇
映画でも描かれなかった真相」ということで「フレディ最後の日々」について

ブライアン・メイの回想を元に再現されたとおぼしき映像には…
「ある日の夕食時、マーキュリーは私に自分の片足を見せて来た
壊死のために足のほとんどを失っていた
『ブライアン、こんなものを見せてしまってすまない』
『そんなことはない、君がこんな痛みと闘っていたなんて…』」…というシーンがあったり

エイズ発症後に作られた【ショー・マスト・ゴー・オン】のPVには
身体の衰えを隠すために厚化粧を施すなど細心の注意を払いながら
必死に歌うフレディの姿が映っていたり…
森公美子さんは涙を堪えきれないご様子…

それから半年後、過熱する取材合戦を食い止めるため、エイズであることを公表し
それから24時間も経たない内に亡くなったこと
その直前まで、自宅の日本庭園に設けた茶室で作曲していたことが紹介されて

お三方が「何故、クイーンが、こんなに日本人に愛されたのか?」
…を語り合われた後「最後に一言」と坂上さん
「恥ずかしながら、わたくし、20才くらいの時に
クイーンの【ボーン・トゥ・ラブ・ユー】…あれをカバーしてしまいました
それだけは使わないように、お願い致します!」と
スタッフの方にお願いなさって終了…

ただ、ちょっと「宝塚の男役」みたいな出で立ちのフレディが
絶唱している映像を見た後の重苦しい空気の中では
若干?スベリ気味だったことは否めませんでした…(苦笑)
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