ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

バンドやろうぜ!その45

2015-04-13 06:18:17 | 日記
ディスクガレージの上島正昭さんは、KAIFIVEから甲斐さんの担当になられたそうですが

その時、一番に思われたのは『ああ、これでもう甲斐さんのライブを
初めから終わりまで見ることは出来ないんだ』ということだったらしい(笑)

特に担当として初めて武道館を手がけられた際は『やはり客席で観たいライブでした』と…

奥さんにすれば、一度でいいから会場入りする甲斐さんの肩を抱いて(笑)
ファンの盾になってみたいんでしょうけど…(爆)

そういえば、亀和田武さんも
もしご自身がステージを終えた甲斐さんを舞台袖で迎え
『バスタオルを肩に掛けちゃう(笑)』ローディだったらどんな気持ちだろうとおっしゃってましたね(笑)

仕事の相手としての甲斐さんの一番の特徴は『数字に強いこと』と上島さん
お金のことにしても、非常にオープンで話しやすいんだとか…

『アーティストらしく浮世離れはしてるんだけど
キチッと現実に戻って、またイッちゃう人だから(笑)話しててホントに面白い』そうだ

BOXセットの音源にしても、ライブ映像にしても膨大な数を保管されている甲斐さん
『文化は経済(笑)』とおっしゃってますもんね

上島さんは、ロッキュメントのゲスト・ブッキングにも関わっていらしたようですが
解体作業と言いつつチャレンジを含めた行動は『解体』とは違うのでは?と思っておられたという

でも毎回、深夜のバーで曲順を考えている甲斐さんの顔は
『嬉しさと楽しさが溢れているので良しとしよう』と話されてます(笑)

カメラマンの井出情児さんは【フェアリー】のPV撮影中の事故について触れられ
『その時以来、演出の仕事を辞めてしまいました』と…

『押せ押せの撮影』とはいえ、甲斐さんの心臓に負担をかけてしまって
数本のライブがキャンセルになったことに責任を感じられたんでしょうね

でも後に甲斐さんは、PVっていうのは
僕の詞を読んで感じたことをビジュアルに落としてくれるもので
そのままなぞって面白い訳ないからね

だから、一番よくないのは作詞した奴がビデオの絵コンテを描くことね
俺、昔よく描かされてたんだけど(笑)
それじゃ撮影クルー、君たち仕事してないでしょ!?(笑)って笑っておられたようです

甲斐さんはよく『情児と俺は60年代のシッポ』と言われますが
情児さんは、当時ホントに新宿駅東口に寝泊まりなさっていたらしく
『僕にとって新宿という街は特別な所』だと…

ジャケット撮影のため、甲斐さんに西口中央公園に来て貰った時
『あそこでコンサートが出来たらいいね』と話されてたらしいんだけど
それが、BIGGIGとして実現して
『未だに忘れることの出来ない大きな事件』とおっしゃってます

写真集『BEATNIK』の撮影で、日本中を甲斐バンドについて回りましたと情児さん

明け方、路上で泣き出した甲斐さんを介抱しようとなさったら
田家英樹さんに『まず、撮れ』と怒鳴られたそうで

『1回だけストロボを焚きました』
『これが僕のカメラマンとして自覚をした瞬間でした』と話されてるんだけど

田家さんの『ポップコーンを…』には
情児さんが『撮っていいんだろうか』と躊躇っていらしたので
『撮った方がいい』と言った…みたいに書かれてましたよね(笑)

甲斐バンド復活の時にビデオ用のリクエストが叶って
『あの地でポップコーンが聴けた』り
武道館では、前島さんや上島さんにお願いして
『写る所全部、お客さんに入って頂くことが出来た』そうですが

その時の映像が、写る所に居なかったはずの奥さんのトラウマになってるんですよねぇ(笑)

その前島良彦さんと甲斐さんの出会いは…
前島さんとご一緒にキャンディーズを手掛けておられた方に
中野サンプラザでのイベントの照明を頼まれ

終演後、舞台監督に呼ばれて『甲斐バンドって知ってますか?』と訊かれたという
『知りません』とお答えになると『一度見て下さい』

この舞台監督の方が、当時の甲斐バンドのマネージャー武石さんだったんだとか…(笑)

高松まで出向かれて、甲斐バンドをご覧になり
『ずいぶん威勢のいい連中だな』と思われたそうだ(笑)
ただ、その時の照明の方にはバツの悪い思いをなさったらしい(苦笑)

前島さんいわく…
甲斐さんって人は、必死にやんないとついて行けない人だね
やる気を起こさせられちゃう

ただ、照明なんかが話題になること自体、そのライブは失敗だよ
『照明が良かった』なんて言われるより
『いいライブだったね』と言われた時に
自分が褒められたって俺は思ってるよ

でも甲斐さんは、ご自身のライブ体験から
照明の重要性を実感されてるんですよね

甲斐さんに『バンドをやめるよ』と言われた時は『あっそー』って感じだったけど
武道館の最後の日は誰とも話したくなかった

『一緒に出来なくなった』と言われた時は『いよいよその日が来たか』って思ったけど
その後、よく二人で蕎麦屋で会うようになった

俺は初めて仕事じゃなく、友人として甲斐よしひろと話が出来るようになったんだ
でも、再結成の際には『リハビリ』を経て(笑)現役復帰された前島さん

満足してる甲斐さんなんて見たくない
しっかり自分の不満が判ってて、それを何とかしろよって言ってる時って
やっぱり勢いがあるじゃない?
だから、一つでいいよ、何かすごい不満を持ってて欲しいと話されてます

甲斐さんの周りには『仕事』だけでなく
それ以上に熱い関わり方をなさる方が大勢いらっしゃるんですね
コメント
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