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日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

もし盲学校がそこに集う生徒や保護者にとっての「終の棲家」であれば、とオニクタラムは考えるーーー盲学校という「空間」から「正義(論)」を再考察するとき④

2019-12-18 | 社会 政治

もし盲学校がそこに集う生徒や保護者にとっての「終の棲家」であれば、とオニクタラムは考えるーーー盲学校という「空間」から「正義(論)」を再考察するとき④

私も老いてしまった、と最近よく思う。それが証拠というか証といえばいいのか、それはさておき、とにかく「自分だけは」何とかこれから先も、死ぬまでは安心、安全に生きられたらいいのに、と心の中のどこかで計算している自分を見つけるのである。怖ろしく傲慢で勝手な自己中そのままの私が老いさらばえた体の中で、すくすくと成長している。

「ちょっと待てよ」、とどこからか声がする。「お前の妻は、子供は、孫は、それに今にもお迎えが来そうな、施設のベットの上で、喉(のど)に痰を絡ませ時々あえいでいるお前の親父は、どうするのか、彼らの安心安全の確保をまさか忘れたわけでもあるまいが」、との私を叱咤する、いや嘲笑(あざわら)うかのような声が聞こえてくる。声の主は誰かとあたりを見回すと、何とそれは私の中に自然と巣くうようになったあのシステムではないか。

そんなバカなことが。とかく人生とはそんなバカなことの連続かもしれない。思い起こせば、私には情というか、感情が人一倍薄いのだ。父の死にそうな姿をベットのそばで見守る中で、やっとこの人に慈しまれ大事に守られながら今日に至ったのだと、今さらながら感じる愚かな息子だった、と私はつくづく思うのだ。

そんな私でも、この盲学校に入学して以来、最も衝撃を受けた瞬間が、そう、全身の震えを覚えると同時に、私の心のどこかで戦闘モードのスイッチがオンとなった瞬間がある。おそらく死ぬまでこの時を忘れないだろう。

とは言いながら、正確な日付はもう忘れてしまっていたので、後から調べてみると2019年11月19日の火曜日であることがわかった。その日の朝礼時では「人権教育週間」ということで、「同和問題」に関する講話があったのだが、私の「存在」が全否定されたと思った瞬間だったのである。「安心・安全の盲学校」とは言うものの、私にとってその日の朝のほんの10分間にもみたない出来事は、忘れられない者となったが、それはまた、まさに私が生きてきた、生き続けなければならない、私の存在理由を鮮やかに教えてくれた瞬間でもあったのだ。それゆえ、私は素直に感謝した次第なのだ。

その朝礼時の話題は「差別」に関するもので、以下の資料に従って話は進められた。少しそのさわりを紹介しておく。資料はまず、「差別解消推進法」について、という題目でもって始まる。そしてすぐその次に、「差別の解消の推進に関する法律(差別解消推進法」が2016年(平成28)年12月9日に成立し、同月16日に公布・施行されました。全6条からなる法律で「差別」の名称を冠した初めての法律です。---、と資料の話は続いている。

以下では、私が私自身の存在を全否定されたと思われるくだりを紹介しておきたい。換言すれば、私のこれまでの研究内容を真っ向から否定する話であり、逆に言えば、私が真っ向から否定してきた内容であったのだが、多くの日本人が、いやそれは日本人に限らず、世界中の多くの人々も何ら疑うことのない話だろう。それでは、そのくだりを抜粋引用しておく。先の資料のすぐ後に以下のくだりが続く。---差別の問題(同和問題)は、日本社会の歴史的発展の過程で形づくられた身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の人々が長い間、経済的、社会的、文化的に低位の状態を強いられ、日常生活の上で様々な差別を受けるなどの、わが国固有の重大な人権問題である。---

また〈1965(昭和40)年 「同和対策審議会答申」〉には以下のくだりがある。ーーー同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。これを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり同時に国民的課題である。ーーー

そして、こうした文脈の下で、〈1969(昭和44)年 「同和対策事業特別措置法」(10年間+3年間延長)において、以下のような取り組みがなされることとなる。それはーーー地区の住宅の改善や道路・公園の等の整備、産業の振興を目的とする施設の建設などを行い、実態的差別の解消を目指した。---

そして最近では、〈「差別の解消の推進に関する法律」(平成28年法律第109号〉の(目的)第1条に以下のくだりがある。すなわち、---この法律は、現在もなお差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重要な課題であることに鑑み、差別の解消に関し、基本理念を定め、ーーーと続く。

そしてその(基本理念)において、以下のように語られている。ーーー第2条 差別の解消に関する施策は、全ての国民が等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、差別を解消する必要性に対する国民一人一人の理解を深めるように努めることにより、差別のない社会を実現することを旨として、行われなければならない。---

私は先にも述べたように、腹立たしい思いを感じたのだが、同時に子供から大人に至るまでこの種の「洗脳教育」を受けてきたのか、と今さらながら貴重な体験をしたのである。障碍者が集う学校で、障碍者や弱者を差別、排除する関係を前提としてその「理念」が実現される「普遍的価値」を思想的武器としながら、同和問題や障碍者問題に立ち向かうべきだとする、そうした教育の愚かしさに何の疑問も抱かない空間が「普遍主義」の名の下に、世界の隅々に拡大していると考えると、それはぞっとするものではなかろうか。まさに事実は小説より奇なりなのである。

私はこれまでの拙著や拙論で、私たちが何ら疑うことなく礼賛し、後生大事に守り続けた自由、民主主義、市民的権利、平和といった普遍的価値やそれを世界中に伝播させようとする普遍主義なるものは、1970年大以前では、{[A]→(×){B]→×[C]}の、そして70年代以降は、{[B]→(×)[C]→×[A]}の関係を前提として初めて実現される理念であるというものであった。その実現は、1970年代以前までは、Aにおいて、そして70年代以降はBにおいて許されるのである。なお、先の図式で示される関係は省略形、共時態モデルであり、70年代以降に関しては、なおその関係は実現途上にあることを断っておきたい。詳しい図式とモデルに関しては、拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」-「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ』(晃洋書房 2014年)の88-91頁を参照されたい。なお、このブログ記事でもそのモデルを紹介している。

最後にまとめれば、理念(普遍的価値)は先の二つの関係を前提として初めて実現されると同時に、そうした関係を基にして、理念が創造されたということなのだ。そしてその二つの関係は、親分ー子分の帝国主義関係を前提とする覇権システムと、そのシステムと連動してつくり出された世界資本主義システムと世界民主主義システムの三つのシステムから成る一つのシステムとして描き出されるのであるが、そこからも分かるように、その関係は見事に差別と排除の仕組みを組み込んだ関係であったということである。

このような差別と排除の関係を前提として実現される「理念」がどうして差別や障碍者差別の問題を解消することに役立つだろうか。また、格差問題の解消に役立つと考えられようか。そんなおかしなことはないのだ。現実はその逆であり、普遍的価値を守ること、そしてそれを世界第二拡大させることは、差別と排除の関係をますます固定化させ、さらなる差別と排除の関係をつくり出していくのである。

今回の記事は、もう少し掘り下げて論及していきたいのだが、今日はここまでにしておきたい。

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